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近代、日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
159 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 17:35
>>158
日本経済は崩壊してないが、崩壊していると仮定しても、
韓国という朝鮮半島ですら小さいのに、さらにその半分でしかない小国を
対抗馬としてあげる時点で、チョソだとわかる。
中国とか言うならまだしも。

帝国主義時代、それ以前でも、朝鮮を日本に並ぶほどの国と
みなしたことはない。
中世とかでも、三国って言ったら、日本と支那と天竺でしょう??

160 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 17:39
チョソ認定してる時点で韓国への意識が過剰ということは分かる・・・
韓国人留学生に友達いるか?>>159

161 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 17:40
釈迦に説法でしょうけれども、我が国は漢字をとりいれたが、そのまま使ったわけではない。
従来からあった話し言葉を書きあらわす際に当て字として使ったわけで、漢字を都合良く取り入れて、ある種道具のように
その漢字の成り立ちも含めて理解し、使いこなしたわけだ。漢字を使ってるだけで支那の言語圏や文明圏に
取り込まれたわけではない。
和魂洋才という言葉があるが、昔は和魂漢才といってたそうだ。

162 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 17:46
外国に住んでいるせいで「民族」という意識が強いのか、どうかは知らんが、少なくとも天皇は「日本国の象徴」なので「日本民族の象徴」とも「日本国民の象徴」とも法律にも書かれていない。
つまり、代々日本を(実質的にでは無いにしろ)支配していた天皇はイメージ的に(象徴的に)
日本=「天皇が頂点にたつ国」というわけだ。
つまり、日の丸を見て、
日の丸=「日本の国旗」と認識するようなものだろう。
長年の支配の結果、しみついたイメージ。それが歴史なのだ。
ようするにミカンは何色?と聞かれオレンジ色と答えるようなもの。実際には、蒼いミカンだってあるのにな。
つまり、現実的認識を、法律でしめしたダケの話しだ。

163 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 18:19
このスレ理系多そう

164 実に興味深い :2003/05/09(金) 20:04
実に興味深い。やはり、釣りえさは韓国との比較に限りますね。
159は面積の比較で、韓国の劣位を言わんとする点、馬鹿丸出しです。

「経済が崩壊しつつある日本。中国の台頭によって生じるコンプレックスを(以下略」

こうしておけば159も納得ですね。

165 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:06
経済規模の比較としても、韓国より中国だろうが。あほらし。

166 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:07
釣り人が多いなー

167 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:09
>>163
そのわりにはだれもかちっとしたデータを持ち出さないね。

168 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:13
>>167
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/

169 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:13
>>167
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/

170 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:14
いや・・・データだけ出されてもどうコメントして良いのやら。

171 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:18
東郷平八郎は、肉じゃが(この人が考案)と
T宇戦法(トウゴウターン)で有名ですが。
特にトウゴウターンは海外でも有名だそうです。

トルコでも日本の東郷平八郎をトルコを支配したロシアを
やっつけたと言うことで今でも語られているそうです。

まぁ、細かいことはともかく肉じゃがは美味いから
東郷平八郎は偉大だ。

172 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:22
アメリカ合衆国ダグラス=マッカーサー元帥
昭和25年10月 ウェーク島にてトルーマン大統領と会談中の会話
「東京裁判は誤りだった」

小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より
GHQ(日本進駐連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥
昭和26年5月3日米国上院軍事外交共同委員会での証言

「(中略)日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。
そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、
一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。
したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです」

173 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:23
フランス大統領シャルル・ドゴール 『白人の植民地主義の終焉』
「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する」

参考資料 : オリヴァー・リトルトン生産相(英保守党内閣)の証言(昭和十九年六月)
「米国が戦争に追込まれたというのは、歴史を歪曲するも甚だしい。米国が余りひどく日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ」

インド国会議員にしてインド独立運動家 マハンドラ・プラタップ
「(連合国は)日本に対してこそ賠償を払うべきだ」

174 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:24
フィリピン独立記念での演説   パルガス フィリピン大使 
「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。
帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、
自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。
大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、
その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」

175 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:25
孫文
「ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。
日本はアジア問題代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。
白人人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。
アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。」
日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた。

176 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:25
マレーシア マハティール首相  
黄文雄(台湾の評論家)著「罠に嵌った日本人」より

「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」

177 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:25
もうちょっと考えてからコピペしなさい。

178 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:26
韓日人協会理事長 鄭時東
「第二次世界大戦を日本国民は団結してよく戦った。それが契機となってアジア諸国はすべて独立した。
この偉業は将来誰も否定できなくなるであろう。
そして注目すべきことは、あれほど戦っていた日本が敗戦と決まれば、整然と矛を収めたことである。
この見事な収拾ぶりは世界の驚きであった。 」

179 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:27
所詮貴様は借り物でしか戦えない男だということか?

180 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:29
初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』より
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、
真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」

181 実に興味深い :2003/05/09(金) 20:29
実に興味深い。
このスレノ書き込みの特徴である、排他性、ナルシズム、マスターベーション、勘違い
どれも「島国根性」という言葉にリンクします。

182 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:30
>>181
自分も島国人

183 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:30
マジでコピペ好きだな、こういう香具師は・・・

184 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:32
どいつもこいつも立派なこと言えるわけがなし
コピペ元ネタ拾ってくる能力があるだけまし

185 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:33
どうでもいいけどさ、それらのどこが日本のためになったわけ?
寺の鐘とかまで没収して、国内を疲弊させて、
そんなことする国のどこがいい国なわけ?
少しぐらい想像力があるなら今それをやられると思ってみなよ。

186 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:33
米国太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥
「この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」

マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(1941年当時16歳)

「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。
日本軍政下の訓練の結果、
日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」

187 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:35
ついでにいうと出典が明らかにされてないものをやたら貼りまくるのはおろかだよ。
いつもそうやって論文かいてんの?

188 実に興味深い :2003/05/09(金) 20:36
実に興味深い。
一部のマイノリティな発言を必死に探し出し、それを組み合わせて脳内で、
我流の歴史を作る。なんてクリエイティブな人達だ。必死さが伝わり、笑いが止まらない。

189 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:38
<“悪の帝国”=大日本帝国=フセイン・イラク帝国>
“悪の帝国”大日本帝国は、“正義の味方”アメリカを中心とする連合軍に
完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅した。
その結果、圧政に苦しんでいた日本国民は、軍部や右翼ファシストたちの手から解放された。
国民を苦しめ続けた軍部、右翼ファシスト、そしてその協力者たちは“戦犯”として裁かれた(東京裁判)。
国民の人権・自由が保障されない封建的な大日本帝国憲法は“破棄”され、
国民主権・基本的人権の保障・平和主義を謳う近代的な“日本国憲法体制”が新しく発足した。

このように、アメリカを中心とする連合国との戦争に日本が負けたから、
日本国民は今日に至るまで自由と平和と豊かさを享受しているのである!
すべて、アメリカを中心とする連合国のおかげであることを日本国民は忘れてはならない!
アメリカなどに対する感謝の気持ちを日本国民は忘れてはならない。
アメリカ万歳!!
東京裁判史観万歳!!
日本国憲法体制万歳!!

ちなみに、イラクの戦後復興は、“日本占領”をモデルとするらしい。
とすれば、“イラク版東京裁判”の下で“戦犯”が裁かれ、
“イラク版日本国憲法”が制定されるのであろう。
その結果、イラク国民は、今後永遠に自由と平和と豊かさを享受してゆくことであろう…。

190 実に興味深い :2003/05/09(金) 20:39
実に興味深い。
コピペを必死に貼り付けている彼は、
必死になればなるほど、呆れた目で見られることに気づいているのだろうか?

私はこのような、日本人の勇気やら大和魂がどうのこうのという発言を見ても
なんら日本がすばらしかったと思えません。

191 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:40
当時、著名な国際法学者で、後に最高裁判所長官となった横田喜三郎は、その回想録
 『私の一生』で「わたくしは、この裁判(東京裁判)を正当であると固く信じ、それを
 強く支持した。すでに戦争中から、太平洋戦争を侵略戦争であると信じていた。むし
 ろ、ずっとさかのぽって、満州事変から、日本の軍事行動は、自衛行為ではなく、侵賂
 的行為であると見ていた。戦争に負けたことは、過去の侵略行為を清算し、これから平
 和政策をとるために、かえって幸いである。その清算の意昧で、侵略戦争の責任者は、
 厳しく処罰されなければならない。本来ならば、日本自身で処罰すべきである。連合国
 が処罰するというなら、それをよく理解し、支持しなければならない」と述べている。
 このように東京裁判は勝者の裁きであることを百も承知の上で、それを前向きに評価す
 べきだとした日本人は決して少なくなかったのだ。
 また東京裁判は、日本の民衆が知る由もなかった戦争や軍部の実態なり真相なりを、白
 日の下にさらけ出すという大きな役割をはたしている。法廷には、検察、弁護側双方か
 ら膨大な重要史料と無数の証言が提出された。これらの裁判史料はアジア太平洋戦争の
 経緯を検証する上で貴重な手がかりとなるものばかりである。もしも東京裁判なかりせ
 ば、私たちは未だに戦争の真実に迫れずにいたに違いない。
 ところが『プライド』は、こうした東京裁判の本質を全然描こうとせず、その矛盾点ば
 かりをあげつらっていくのである。

192 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:40
所詮匿名掲示板では筑波大生といえどもこの程度か・・・

193 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:40
アジア太平洋戦争で日本軍が中国でおこなった南京大虐殺は、東京裁判で初めて暴露さ
 れ、なにも知らされていなかった日本人に大きな衝撃をあたえたのだった。ところが
 『プライド』はこの事実を真っ向から否定しにかかるのだ。
 東京裁判の法廷では、検察側立証段階で、当時南京に滞在していて日本軍の蛮行を目撃
 したり聞いたりした外国人四人と、直接被害を受けた中国人五人が次々と立って証言し
 た。その他、十数人の宣誓口供書が朗読され、多くの証拠書類も提出された。こうした
 おびただしい証拠をつきつけられて、弁護側はほとんど手の打ちようがなく、その反証
 は弱かったことが裁判の真実であった。
 だが『プライド』では、マギー牧師、ウイルソン医師という二人の外国人証人が虐殺の
 模様を語る場面をごく短く出したあと、弁護人が「証人の証言はすべて伝聞に基づくも
 のではないか」と反撃する場面をクローズアップするといったやりかたをとるのだ。ま
 た許伝音という中国人証人の登場を描く際、証人に一言も喋らさず、ただ伊藤弁護人が
 「あなたは日本軍が一般市民を無差別に殺したと言うが、殺されたのは市民を装った中
 国軍兵士ではなかったのか」と怒りを露わにして激しく追求する場面だけを描いてみせ
 るのだ。
 それだけではない、東條が清瀬弁護人に向かって「わが皇軍の兵士たちが、兵隊でもな
 い支那人を、女や子供まで、見境なく、手当たり次第に殺しまくったなどと、誰が信じ
 られると思うか」と言って、無念のあまりハラハラと落涙する場面もこの後に出してく
 るのだ。つまり『プライド』は子供騙しみたいな手練手管で、南京大虐殺なんかなかっ
 たと主張してやまないのだ。

194 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:41
誤字があるものを貼り付けないでくださいよ

195 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:41
『プライド』ではわざとふれることを避けているが、インド本国では、独立運動の指導者
ガンジーにしてもネルーにしても、中国に侵略した日本軍の姿を見て、日本軍を侵略者、
ファシストと規定していたのである。ガンジーはもしも日本軍がインドに侵攻してきた
ら、徹底的に戦わねばならないと国民に呼びかけていた。またネルーは中国人民解放軍を
支援していたのだった。更に日本軍の協力を得て、インドの独立を画策したチャンドラ・
ボースにしても、常にインド国民軍が日本軍の傀儡軍にされることを恐れていたのである。

196 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:41
今度はアメリカ万歳のコピペかよ(w

197 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:41
ところでパール判事であるが、アジア太平洋戦争における日本の立場を擁護し、A級戦犯
全員を無罪とする長文の判決文を書くために、日夜ホテルに閉じこもって精進する。しか
し、彼が心血を注いで書き上げた判決文は法廷では少数意見として無視され、朗読すらさ
れずに裁判は終結してしまうのだ。怒り狂ったパールはホテル客室のバスタブに満たした
冷水を、何杯も何杯も頭からひっかぶって、階下の部屋まで水浸しにしてしまう。映画は
かような場面を次々と打ち出して、パール判決にこそ日本の正義が描き出されていたの
に、東京裁判は理不尽にもそれを葬ったと観客に印象づけるのだ。
こうして『プライド』は、東京裁判を全面的に否定し、アジア太平洋戦争の侵略性を隠蔽
するために、パール判決を過大に評価し賞揚するのだが、これは右翼グループの常套手段
である。元来、パール判決は長大、かつ晦渋で全文を読破するには、かなりの根気がい
る。私が読んだところでは、パール判決には、日本軍の中国における残虐行為を指摘して
いる箇所があるのだ。ところが右翼はこういうところは無視して、自分たちに都合のいい
ようにパール判決を利用しているのだ。
 要するに『プライド』のような時代錯誤的な映画が出現したことは、昨今の日本の逆行
的な情勢の忠実な反映に他ならないのだ。大東亜戦争肯定論という歴史修正主義の映画版
なのだ。

198 実に興味深い :2003/05/09(金) 20:42
実に興味深い。
コピペだけで、自分の意見は一切無し。典型的な思考停止の例です。
こういう思考停止が、日本国民を悲劇に陥れた過去を知っているのだろうか?

199 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:47
TRAGIC DECEPTION 日米・開戦の悲劇〜誰が第二次大戦を招いたのか
ハミルトン・フィッシュ/岡崎久彦 監訳 より

 いかに日本を挑発するか

 コーデル・ハル国務長官の広範な回顧録は、当然のごとく日本に対する最後通牒に関するハ
ル自身およびルーズベルトの責任を隠蔽するために、非常に偏ったものとなってはいるが、歴
史的情報の宝庫であるといえよう。
 この最後通牒に言及するにあたっては、ルーズベルトがパールハーバー攻撃を”恥ずべき行
ないの日”と呼んだことにちなみ、”恥ずべき”最後通牒と呼ぶのが適切かと思われる。
 ハルの回顧録は、十一月二十五日のホワイトハウスにおける重大な会合についてさえ触れて
いない。
 スティムソンの日記によれば、この会合で協議された唯一の問題は、いかにして日本を操作
し、煽動し、刺激して、もって日本に先に手を出させるかであった。その翌日、ハル長官は、
暫定協定、すなわち日本が受け入れ可能であった九十日間の休戦案を廃棄し、野村吉三郎駐米
日本大使に”恥ずべき”戦争最後通牒を手交した。これは、パールハーバー後になるまで発表
されず、発表時には注目されるところとならなかった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
当時、一般の米国人も知らなかったとはいえ、そもそもアメリカ(ルーズベルト)が先にこち
らから手を出させるように仕掛けてきた結果の対米開戦なのに、それに対する報復?だから原
爆投下(正義の名の下に行われた人体実験)、民間人を狙った空襲も、日本人捕虜や民間人に
対する残虐行為も許される?

200 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:47
>>198
えーとあなたに投げかけるべき言葉はどうやらなさそうです。
自覚がないなら滝にでもうたれてきなさい

201 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:51
>>199
ドイツ、米国、ロシアの教科書比較(80年代の教科書が主)

日本の原爆投下に関しての教科書では、ロシアは自国の牽制と書き、
ドイツは他国(特にロシア)の牽制と、原爆投下以前に日本はロシアに和平を申しこんだが
こたわられ、降服が分かっているのに米国は実験の為に投下したと書いています。
米国は投下しなければ、100万人犠牲者が出たであろうと書いています。

勝てば官軍でしょう。

202 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 20:52
本土決戦やってりゃ、ベトナム戦争で見せたアメ公の腰抜けぶりが
20年早く見れただろうな。大日本帝国が徹底抗戦を貫けば、アメリカ
が日本を占領することは ”絶対に!” 不可能だった。もちろん、
戦後日本の急速な復興もなかったかもしれないが、祖国に誇りを持てなく
なった現状を考えれば、徹底抗戦後、誇り高き自力復興を目指した方が
良かったかもしれん。例え何年かかっても。

203 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:00
>>202
武器も食料もないのにどうやって戦うのか教えてください。

204 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:02
>>203
サムライ魂とハラキリカミカゼで闘うのです。

205 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:02
我々の前には洋々たる希望が開けつゝある。太平洋と東亜を、英米の搾取から開放する
大東亜共栄圏の建設が武力戦の進展と共に急速に緒につかんとしてゐるのである。
この広域に雄飛する未来の日本の姿を描くとき、我々は日本民族の生き甲斐を感じ、
皇国の歴史を祝福せずにはゐられない。
 併しながら建設への道は荊の道であり、戦ひの道である。遠大な希望に眩惑され、
或ひは眼前の功をあせつて小成に安んじてはならない。「もうこれでゴムは大丈夫だ、
油は来るだらう、生活も楽になるに違ひない」といふやうな安易な考へを抱く者ありとすれば、
大東亜戦争の究極の目的を解しない近視眼である。事実この広域には我々の使ひ切れぬ
資源があり、これを開発することは必要である。勿論さうせねばならないが、
現にそれだけであつてはならない。究極の目的はこの地を米英の支配から解放し、
東亜の新秩序を樹立し、枢軸国と力を合せて世界の新秩序、世界の平和を
確立せんとする戦であつて、それまでは決して矛を収めない覚悟を以て望まねばならない。

206 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:03
つーかソ連にも攻め込まれて半分共産圏になってたと思うぞ

207 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:05
ばーか。ソ連も日本占領はムリっつってんだよ。アフガンで見せた腰抜けぶりが
30年早く見れただけ。勉強しな、ボクちゃん?

ヲマエのような米帝の奴隷のことだ。先祖は代々オカマか淫売だろう?さっさと
日本国籍放棄して、アメリカで先祖の後を継げ。少しでも世間の役に立ちたいと
思うなら、ヲマエは膝を抱えて何もするな、何もしゃべるな。w

208 203 :2003/05/09(金) 21:05
>>206
それを忘れていた。分裂国家になっていた可能性もあるんだね。こわやこわや

209 203 :2003/05/09(金) 21:06
>>207
ばっちり北方領土を占領されてる国の国民がなにを偉そうに・・・

210 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:07
 国民諸君、同胞諸君

 日本は、われらの祖国日本は、本日実に重大なる運命の中に突入したのであります。
真に皇国の興廃を賭して万里の波涛を開拓せんとする苦難の道へ突進したのであります。

 昭和十六年十二月八日は、日本国民の、永遠に忘るべからざる日となりました。
日本の存在する限り、従つて世界の存在する限り、その歴史の上に堅く刻み込まるゝ日と
なりました。アジア十億の民が、アジアの運命決定の日として、否、ひとりアジアのみならず、
世界の全人類が、ひとしく新らしき歴史創生の日として、永遠に記憶する日となつたのであります。

 本日、米国及び英国に対し、畏くも宣戦の御詔勅が渙発せられたのであります。
今や御聖断が下つたのであります。帝国は英国とは本日午前一時半に、米国とは午前三時半に、
それぞれ完全に戦闘状態に入つたのであります。先刻東條内閣総理大臣は烈々たる信念と
凛々たる決意とを以て、一身を捧げて決死報国を誓はるゝと共に、
国民各位に天業翼賛の誠を求められたのであります。

 私は、この人類が歴史を有して以来の一大回天の今日、
今こゝに襟を正し身を潔め、宣戦の大詔を下し給へる上御一人の大御心を拝察しつゝ、
日本が今次、米英両国に対し戦を宣するの真に止むを得ざりし所以を愬へ、
一億国民と共にその時の正に到れるを喜ばんとするものであります。

211 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 21:15
>>1-210
http://sizuka.tripod.co.jp/okumura.htm

212 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 22:16
ウザイ>実に興味深い

213 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 22:24
>>212 禿げ堂

214 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 22:27
>>198は思考が停止しています。再起動後スキャンディスクを実行してください。

215 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 22:52
HOW MANY FILES?(>>1-214)

216 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 22:59
コピペ厨は最近小林よしのりの(断じてクラウゼヴィッツではない)の戦争論
を読んで洗脳されたのでしょう。

217 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:00
>>216( ´,_ゝ`)プッ

218 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:02
その通り。
先天的に自虐史観を植え付ける教育は「洗脳」とはいえないからな。

219 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:03
>先天的に自虐史観を植え付ける教育は「洗脳」とはいえないからな。
詭弁ですね

220 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:07
>>217
( ´,_ゝ`)プッとしかいえないなんて、まさか図星?!

221 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:10
>>220
修行が足りません。

222 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:24
>>221
それしか言い返せなかったのか。かわいそうだな。

223 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:27
>>220
その程度の発想しかできない浅ましさを笑っただけ。

224 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:29
>>220
( ´,_ゝ`)ポッ

225 実に興味深い :2003/05/09(金) 23:32
実に興味深い。
私のレスに一言も反論できず、うざいの一点張り。
日本の右傾化もやがて、論理抜きの問答無用の方向に進むのでしょうな。
212のように。まさに思考停止の典型ですね。
彼が大学生でないことを祈ります。

こういうやり方が過去に何度日本人を災いへと導いたか。

226 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:48
>>225
>こういうやり方が過去に何度日本人を災いへと導いたか。

何回災いに導いたのか?
そして、何回目が、何の災いだったのか?

227 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:51
>>223
発想が浅いのかもしれませんが、知識も信念もなくコピペでしか主張できない人を
見ていると自然にそう感じられたのですよ。にわか知識とにわか洗脳にやられちゃってるなー
という感じ。まあ、かくいう私は別に左なわけじゃないですが。

228 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:53
>>227
そのコピペは、単なる釣りのためにやってるのかもしれないじゃないですか?
そこが浅いのでは?

229 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:54
単なる釣りだとしたらよほど暇人だなあ。別にいいけどね。

230 実に興味深い :2003/05/09(金) 23:54
>>227
あなたいいですね。
コピペでしか主張できないのは、まさににわかですね。
彼らはとにかく挑発に乗りやすいです。だからこのスレは非常におもしろい。

231 227 :2003/05/09(金) 23:56
即レスが付く!いいね!

232 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:57
>彼らはとにかく挑発に乗りやすいです。だからこのスレは非常におもしろい。
そう断定できる根拠はどこにも見当たりませんが???

233 名も無き筑波大生 :2003/05/09(金) 23:58
>>230
それよりあなた>>226の質問に、まだ答えてませんよ。

234 実に興味深い :2003/05/09(金) 23:58
>>228
あなたの主張はちょっと違うと思いますよ。
コピペを使って釣りをする人間、使わないで釣りをする人間、
釣り師として上級なのは後者だと思いますよ。
にわか人間は、思考が停止し、すぐ言葉で反論できないからコピペで必死になるのです。

235 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:00
>>234
それよりあなた>>226の質問に、まだ答えてませんよ。

236 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:01
>>234
同意。

237 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:01
↑まさに釣られてんだよ。食い付き良すぎるぞ。

238 237 :2003/05/10(土) 00:02
235に対してね。236じゃないよ

239 237 :2003/05/10(土) 00:02
こうして次の日になってしまったわけだが・・・

240 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:03
釣りという言葉は、議論を封殺して勝ち負けをあいまいにするためにも使えるなあ

241 金はあるヤツから巻き上げるに限るのよ! :2003/05/10(土) 00:07
不景気不景気とみんな言っているけど、実は前の世紀に日本人が働いて働いて
貯め込んだお金は千四百兆円ほどもあるのよ。嘘じゃない。インターネットで
調べればいい。銀行は千四百兆円分の利息をまかなうのがイヤで、低金利に
してるくらいだ。(おかげで年金を銀行に預けて、利息で暮らしていたお爺ちゃん
お婆ちゃんが困っている)。
問題はその千四百兆円が、なぜ貯め込まれたままになっているのかということだ。

242 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:08
>>240
「釣り」という言葉が使われるときの意図の多くは曖昧にするため。

243 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:10
「釣りはいらねえぜ、親父」
「あんたは今までの議論を曖昧にしたいのかね」

244 237 :2003/05/10(土) 00:11
このスレ、楽しいです。つくだいせい基本まじめなんだね。

245 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 00:20
>>244
つくだいせいは基本真面目だし、こんなとこに来てるやつらはある意味もっと真面目。

246 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 10:34
佐々淳行の「東大落城」で秦警視総監が東大紛争の解決を先帝に報告
しに行ったとき賜ったお言葉が確かこんな感じだった。
当時は赤色革命が絵空事ではない状況で、日本の学生運動は世界の
耳目を集めるほどだった。当然、それを鎮圧したことを御喜びになられて
いると思っていたが、
「死者は出たか」
「いえ、死者は双方ともに出ておりません」
「そうか、それはなによりであった」
というやり取りで先帝は学生運動を鎮圧したことにはほとんど触れなかったという。
秦警視総監は佐々氏に、陛下にとっては警官も学生もご自分の子供のようなもので
この騒ぎも兄弟喧嘩のような感じで見ておられたのだろうと語っている。

不敬な輩がなにを書こうが陛下にとっては反抗期の子供がだだをこねてるようにしか見えまい。

247 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 10:58
だから出典は?
そんなもんいくらでも偽造できる。わかってコピペしてんの?

248 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:13
出典:佐々淳行「東大落城IV〜巴里は萌えているか〜」(民明書房)

249 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:26
ふ〜ん、突っ込んで欲しい?

250 実に興味深い :2003/05/10(土) 11:42
246は実に興味深い書き込みだ。
一連の書き込みに対する反論になぜか天皇を持ち出す、不可解な書き込み。
自分で思考することができなくなると、遂にはこういう他人がどうこうとういう、
書き込みに終始していますのですね。
民明書房・・・ここはどんなソースでも出てくる有名な(以下略

251 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:44
>>250( ´,_ゝ`)プッ

252 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:50
>>251
かわいそうに

253 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:53
近代、日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。

254 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:55
251は典型的な方ですなぁ。

255 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 11:58
>>254( ´,_ゝ`)プッ

256 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 12:02
とりあえず251の彼女の有無が評価を分けるだろうな。

257 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 12:04
>>251
とりあえず、明日勇気をもって外に出てみよう。
そして、月曜からちゃんと大学行くようにしようよ。がんばろう!

258 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 12:12
>>257
いいこというな。

259 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 12:14
>>257
よく言った!感動した!

260 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 13:08
>>247
書いてあるじゃん、ソースの意味わかってるか?

261 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 13:16
>>230
それよりあなた>>226の質問に、まだ答えてませんよ。

262 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 15:49
>>260
ほんとだ。スマソ。でも『』じゃなくて「」だったから見逃してしまったんだわ。
これって論文?

263 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 17:56
例の浅間山荘の指揮官が書いた本かな?

264 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 18:00
http://www.asahi-net.or.jp/~VU5I-NW/book01.htm
あの人って有能な警察官なんだろうけど、何つーか書く本屋やパフォーマンスがすごいよな、、
まあそこが面白い所なんだろうけど、人によってはキモガラレそう

265 名も無き筑波大生 :2003/05/10(土) 19:52
> 251は典型的な方ですなぁ。

ということにしたいのですね。

266 名も無き筑波大生 :2003/05/11(日) 00:11
日中戦争での帝国陸軍は55勝1敗1分けだったと思います。蒋介石も「惨勝であった」
と唇を噛み締めていたとか。アメリカは日本を徹底的に潰した結果、中国全土を共産化
にした揚句、ソ連まで生かし、ついには朝鮮戦争、ベトナム戦争に導いたのです。
おまけに台湾には蒋介石を落として台湾人を不幸にしました。あぁこれがアメリカの
望んだ事?おかげで日本は隣国に一党独裁国家を二つも抱えることになり最悪の結果
になりました。アジアの平和を乱すのは間違い無くお隣のテロ国家と軍事大国です。

267 名も無き筑波大生 :2003/05/11(日) 00:13
http://members.tripod.co.jp/nishinom/human/ha/pakuchonhi.html
韓国の朴正煕大統領も満州軍歩兵第八団の団長副官として
1944年半ばの大陸打通作戦の熱河省討伐作戦に参加していた。
さすが南雲校長をして「半島出身ではあるが、精神においては完全
に日本人である。岡本生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、
忠誠心のあつい者は日本人にも稀である」と言わしめただけはある。
朴正煕少尉(打通作戦当時)は韓国人も日本人も認めた勇者だ。
あの人も中国のナラズ者ゴロツキチンピラ卑怯者集団を
あいてに勇猛果敢に奮闘し、陸軍中尉にまで出世した。
大陸打通作戦の大義はあの朴正煕大統領でさえも認めていたのだ。

268 名も無き筑波大生 :2003/05/11(日) 00:58
もうここまで来ると、266,277は釣りだな。
昨日からあれだけ、頭が悪いとか思考停止とか非難されながら、
真剣にこんなコピペ転載しつづけるのは本当の馬鹿だよ(w

とおいしいえさに食い付く俺。

269 名も無き筑波大生 :2003/05/11(日) 01:16
とりあえず>>277のがんばりに期待しよう。

270 名も無き筑波大生 :2003/05/11(日) 08:40
まぁ、釣りとか、釣りじゃないとか考えずに、
楽しく議論しましょうよ。

271 名も無き筑波大生 :2003/05/12(月) 15:49
aa

272 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 09:55
afo

273 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 14:25
いくらコピペにマジレスする文化のつくちゃんでも糞コピにはレスが着かないなあ

274 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 15:43
>>273
という、レスが着いた。

275 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 15:45
アフリカや新大陸やオセアニアを侮辱する発言>>1

276 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 15:51
アフリカならわかるが、新大陸とかオセアニアを侮辱するとは??

277 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 15:53
>世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
ってあるからね。アジア以外は全部、という意味

278 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 17:04
eurup+asia=eurasia

って知ってた?

279 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 17:44
初耳だ。

280 名も無き筑波大生 :2003/05/14(水) 22:24
>>1はアインシュタインが言うことは、何でも信じる典型的なミーハー。

281 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 20:55
>>280はアインシュタインが言わなくても、我が国が偉大であることを知らない無知な人間。

282 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 21:56
                〃───、
               / _____)
               / /´ (_  _)ヽ
              ||-○-○-|
              |(6   ゝ  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              |ヽ   θ  ノ  < >>281はウヨク!
               ヽ|\_/     \_________________
  ⊂二 ̄⌒\     ______.ノ  │ (⌒)ヴィシッ!!
     )\  ヽ  //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
   /__   )/ │::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
  //// /  |  /::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
  ///(/ │ ││:::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′
 ((/     │ │/:::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;│
         │  .│:::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;│

283 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 22:21
ウヨクは日本にとって本家本元である。

284 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 22:45
                〃───、
               / _____)
               / /´ (_  _)ヽ
              ||-○-○-|
              |(6   ゝ  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              |ヽ   θ  ノ  < >>288はヘルニア!
               ヽ|\_/     \_________________
  ⊂二 ̄⌒\     ______.ノ  │ (⌒)ヴィシッ!!
     )\  ヽ  //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
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         │  .│:::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;│

285 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 22:48
糞スレあげんなよ。もうオナニし尽くしたろ(w

286 名も無き筑波大生 :2003/05/17(土) 22:57
                〃───、
               / _____)
               / /´ (_  _)ヽ
              ||-○-○-|
              |(6   ゝ  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              |ヽ   θ  ノ  < >>285はサヨク!
               ヽ|\_/     \_________________
  ⊂二 ̄⌒\     ______.ノ  │ (⌒)ヴィシッ!!
     )\  ヽ  //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
   /__   )/ │::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
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         │  .│:::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;│

287 名も無き筑波大生 :2003/05/18(日) 23:52
このスレは永久保存版だ。常時ageておく必要がある。

288 名も無き筑波大生 :2003/05/19(月) 11:25
みんな あがれ!! ふらののなだれこうげきだ!!

289 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 20:05
http://cnn.co.jp/science/CNN200305200020.html

ノーベル賞物理学者、アルバート・アインシュタインの科学論文や手記の電子データを
提供するウェブ・サイトが19日、公開された。米カリフォルニア工科大学とイスラエル・ヘブライ大学が
共同公開するもので、アインシュタイン直筆の論文、日記や政治的発言など3000点以上を、画像データとして収録している。

同サイトのアドレスは、http://www.alberteinstein.info/index.html

290 SARS :2003/05/20(火) 20:10

     ,-― ー  、
   /ヽ     ヾヽ
   /    人( ヽ\、ヽゝ
  .|   ノ ⌒,,  ⌒,,`l
  |   /   (o)  (o) |
   /ヽ |   ー   ー |   誰も大阪から逃げられへんで! 
   | 6`l `    ,   、 |  これは有事や。
   ヽ_ヽ   、_(、 _,)_/   会員だけはボート乗せたる!
    \   ヽJJJJJJ
     )\_  `―'/
    /\   ̄| ̄_
   ( ヽ  \ー'\ヽ

291 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 20:26
>>285
お前にとって糞スレじゃないものは何なんだ?

292 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 21:44
それより>>289の方がすごいってことに、誰も気が付かない??

293 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 21:47
285じゃないが。

>>291
糞スレじゃないものは、良スレと、スレじゃないもの全て。以上。

294 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 21:53
>>293
それより>>289の方がすごいってことに、誰も気が付かない??

295 名も無き筑波大生 :2003/05/20(火) 22:04
>>293
中間はないのね・・・

296 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:21
日本国民は戦後、現代史上最大の変革を行ってきた。
日本国民は見事な意志力と学ぼうとする熱意、優れた理解力を発揮して、
戦いの跡に残された灰の中から個人の自由を尊厳を至高とする高い精神を築き上げた。
…日本が今後のアジアの動向にきわめて有益な影響を及ぼす事は十分に期待できる。
その証拠に日本国民は最近、国外からの戦火と不安と混乱の試練を見事乗り切っただけでなく
国内でも共産主義の膨張を押さえながら急速な進歩を成し遂げたのである。
…私は日本ほど安定し、秩序を保ち、勤勉である国、
日本ほど人類の前進の為に将来建設的な役割を果たしてくれるという希望の持てる国を他に知らない。

1951 04 19 米議会、ダグラス・マッカーサー

297 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:21
C・A・ウィロビー将軍(米・GHQ第二参謀部長)
この裁判は歴史上最悪の偽善だった。
こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・
(なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば)日本が置かれていた状況と同じ状況
に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うから
である。(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉)

「The Tokyo Trial ando Beyond」ベルト・ファン・A・レーリング

もしわれわれが日本人を挑発しなかったなら日本人から攻撃を受ける
様なことはなかったであろう。

--ハーバート・フーバー(米・元大統領)

まともで教育のある人々がなぜパールハーバーを攻撃する
道を選んだのか。
こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人々がいる。
彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人々なのだ。
当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた
悲劇的な立場を考えもせずに発言する人々を英雄視したりしても、
何の解決にもならない。
解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

ジョージ・フリードマン教授(米・ディッキンソン大学)

298 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:22
ヘレン・ミアーズはこう言っている。
「民主主義国は自分たちの「利益」が脅かされているとみれば、中国でひんぱんに
武力を使った。満州事変における日本の武力行為はそれ以上のものではなかった」

日本製品は巧妙な関税障壁によって、欧米の遠隔支配地にも容易に入れない
ように、輸入が規制されていた。日本が不公平と差別に憤るのは当然だった。
大東亜共栄圏構想は、ヘレン・ミアーズが言っているように、「日本がアジア
を自由経済から切り離すことを企図したものではない。日本は自分たちの周囲
に築かれた障壁を破って、自分たちの域内に人と物を自由に流れ込ませようと
した」のである。

299 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:24
◆日本参戦の背後にソ連工作「ハル・ノート」
(1999/8/22の産経新聞からの引用です)

米に強硬提案提示
米国の対日最後通告「ハル・ノート」を作成したルーズベルト政権の財務次官、
ハリー・デクスター・ホワイト氏が実はソ連スパイだったことがわかったこと
で、「米国の対日政策の背後にソ連工作があった」というショッキングな事実
が明るみにでた。
当時の日本はいずれ参戦せざるを得ない状況にあったとの見方はあるが、参戦の
過程にソ連の工作があったという事実は歴史解釈の見直しを迫るものだ。

 ホワイト氏がハル・ノートの原案を作成したことは、ニューヨーク郊外にあ
るルーズベルト大統領記念図書館に残されたホワイト氏作成の対日強硬提案か
ら明らかにされている。
しかも、そのホワイト案をモーゲンソー財務長官がルーズベルト大統領に提案し、
より穏健なハル国務長官の対日妥協案を押しのけることになったというエピソー
ドも四五年にスタートした米議会真珠湾攻撃調査委員会で明らかになっている。

 だが、経済専門のホワイト氏がなぜ米外交を左右するほどの影響力を行使する
ようになり、しかも、対日強硬案を作成した意図は何だったのかという疑問が
残されてきた。

 ホワイト氏とハル・ノートをソ連工作が結んでいたという解答は、
VENONA資料によるスパイ活動の証明とともにソ連NKVD(人民内務
委員部=後のKGB)工作員で、後のKGB高官、パブロフ氏の退役後の回
顧録が埋めることになった。

 同回顧録によると、当時のソ連指導部は、日本の軍事的脅威を取り除くため
に米国の対日参戦を早急に進める「スノウ作戦」にとりかかっており、その
作戦に最も重要な役割を果たしたのがルーズベルト政権内で最も影響力のあ
るホワイト氏だった。
パブロフ氏はホワイト氏と四一年五月にワシントン市内のレストランで接触し、
米国が日本に対し中国および満州からの撤退、さらに日本軍の所有する武器の
三分の二を米国に売却しなければならないとする提案を早急に作るよう指示した
という。
実際、その指示どおりの強硬なハル・ノート原案が同年六月に作成されている。

 当時、米国は対日禁輸などいわゆるABCD包囲網を展開し、日本は追いつ
められた状況だったが、その一方で、平和解決のための日米交渉が続けられた。
また、日本側でも宣戦やむなしとの強硬意見の一方で、米との妥協を求める声
もあったのである。
米側の交渉当事者であるハル国務長官も対日宣戦は避けられないだろうが、ま
だ時期尚早とし、あの時点での強硬な提案には消極的だったことが回顧録で明
らかにされている。

 そうした中、日本側でさえ驚いたほど強硬な「ハル・ノート」が提示された
ことが歴史上の謎(なぞ)とされてきたが、VENONA資料などによってソ連
の存在が明らかにされ、新たな歴史解釈の必要性がでてくると考えられる。

ヒッケンルーパー上院議員
 では五番目の質問です。中共(赤化支那)に対し海と空から封鎖してしまえという
貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ
戦略なのではありませんか?

マッカーサー軍司令官
 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。
日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島のなかにひしめいているのだ
ということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、後
の半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれ
にも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は
怠けているときよりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つ
まり労働の尊敬と呼んでもいいようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料
が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。
しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることが出来ませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物は何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がな
い、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如してい
る。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生
するだろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった
動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

300 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:29
パート1・386 :トルーマンの挨拶 :02/02/28 23:36 ID:ZytENCch

 今後、われわれの間に勝者と敗者の区別を一切なくして、
お互いに平和を希求する仲間同士になるために、すべての
悪意と憎しみをすてさろうではないか。

 今から半世紀前の1951(昭和26)年9月4日、サンフランシ
スコのオペラハウスで開かれた講和会議で、51カ国の代表を
前に米国大統領トルーマンはこう挨拶した。この講和会議にお
いて、米国は日本に国際社会での「威厳と平等と機会」とを与
えようとしていた。条約の作成者、米国のジョン・フォスタ
ー・ダレスは、これを「和解と信頼の講和」と呼んだ。

 トルーマンの挨拶をわずか6年間のポツダム宣言の次のよう
な一節と比較して見ると、日本に対する見方が180度変わっ
ていることが分かる。

 日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過
誤を犯しめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべ
からず
 もっとも、このような寛大な講和方針に反対の国があった。
ソ連である。ソ連代表グロムイコは、千島列島と樺太南部を日
本が侵略によって奪取した事を非難し、講和条約は大戦末期に
米英ソがヤルタ秘密協定で取り決めた樺太の返還と、千島列島
の移譲を含めるべきだと要求した。

 ソ連の主張に対して、吉田茂首相は最後の受諾演説において
次のように反論した。

 千島列島、南樺太の地域を、日本が侵略によって奪取し
たというソ連の主張には、承服しかねます。これらは日本
の降伏直後の昭和20年9月20日、一方的に、ソ連領に
収容されたもので、歯舞、色丹諸島もソ連軍に占領された
ままであります。

 講和会議の半年前、51年3月に米国が作成した草案では、ヤ
ルタ秘密協定通り、「日本国は、ソ連に対し千島列島を引き渡
す」と記されていた。ソ連はこの点については異論はなかった
が、日本における米軍駐留などの点に強く反対したため、米国
は自らが希望するような講和条約にソ連が参加する可能性はな
いと見限った。

 そして米国全権フォスター・ダレスは、日本に千島、樺太南
部を放棄させる一方で、その帰属先を故意に空白にしておく、
という変更を草案に施した。これは北方領土問題を日本とソ連
の間の諍いの種として残しておくための巧妙な仕掛けだった。

 グロムイコは、あくまで樺太返還、千島移譲を含めるよう講
和条約条文の変更を要求したが、それが通らないと知ると、調
印を拒否した。

 ソ連が第2次大戦中の日本敵視政策のままであったのに対し、
アメリカは明らかに対日認識を変えていたのである。1949年
12月に蒋介石は台湾に逃れ、中国大陸は共産主義の手に落ち
た。1950年6月には、北朝鮮の侵攻により朝鮮戦争が始まり、
10月には中国が加担して、アメリカを中心とする国連軍と激
しい戦闘を繰り広げた。

301 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:30
 この頃、アメリカでは、"We fought the wrong enemy."
(我々は戦う相手を間違えていた)という言葉が人口に膾炙し
ていた。日本と戦ったのは誤っていた、という認識である。

 日本を大陸から駆逐したものの、アメリカは共産主義勢力に
中国大陸を奪われ、さらに朝鮮では自ら血を流して戦わなけれ
ばならない羽目に追い込まれた。

 今日われわれは、日本人が韓満(朝鮮、満州)地域で半
世紀にわたって直面し背負ってきた問題と責任を自ら背負
い込むことになったわけであります。他人が背負っている
時には、われわれが軽蔑していた、この重荷に感じるわれ
われの苦痛は、当然の罰であります。

 戦後、米国国務省の要職についたジョージ・ケナンはこう主
張して、ルーズベルト政権がとった「ソ連と協力し、日独を叩
く」という政策を根本的に批判した。日本が戦前果たしてきた
共産主義の防波堤という役割を、日本を駆逐したために、アメ
リカが自ら担わなければならなくなった、という反省である。

 日本に再軍備を許し、この重荷を共に担う友邦にしようとい
うのが、アメリカの講和条約における方針であった。サンフラ
ンシシコ講和会議はすでにこうした米ソ冷戦の戦場であった。

 米ソの冷戦は日本国内にも持ち込まれ、全連合国との全面講
和を主張する社会党勢力と、西側諸国を中心とする多数講和を
めざす吉田内閣との対立となっていた。

 全面講和を主張する南原繁・東大総長を吉田茂首相は「曲学
阿世(真理をまげた学問によって世におもねる)」と批判した。
アメリカがソ連と対立し、中国と戦っている時に、両陣営を包
含した全面講和が実現する見通しはなかった。全面講和が実現
しない限り、いつまでも占領されたままで良いのか、という疑
問に対しては、全面講和派は沈黙していた。

 米国を中心とする多数講和によって日本は西側陣営に立つこ
とになるが、社会党はそれを阻止するために、全面講和という
実現可能性のない空想をぶつけて、それを阻止しようとしたの
であった。

 しかし国民の大多数が、多数講和に賛成していたことは、条
約調印を済ませて帰国した吉田首相の支持率が、朝日新聞の調
査で58%と戦後最高に達したことでも示されている。国民は
一刻も早い占領状態からの解放、すなわち独立と国際社会への
復帰を望んでいたのである。
 講和条約とは、戦争後の国家間の一種の手打ち式であるから、
領土、賠償、戦争犯罪などについて、和解合意するものである。
それゆえに今日問題となっている戦時捕虜の補償問題や、「A
級戦犯」を祀った靖国への参拝問題などは、このサンフランシ
シコ講和条約での枠組みに戻って考えねばならない。

 たとえば、「講和条約で日本は東京裁判を受諾している以上、
首相はA級戦犯を合祀している靖国神社に参拝すべきでない」
という意見がある。条約第11条には東京裁判や連合国での
「戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、・・・これらの法廷が課した
刑を執行するものとする」とあり、A級戦犯を合祀した靖国参
拝は「裁判受諾」に違反する行為だという。

 しかしこの「裁判を受諾し」というのは日本語原文のみの表
現であり、英語原文では受諾したのは"Judgements"、すなわち
「判決」である。仏語、スペイン語原文でも同様の表現になっ
ている。これは日本政府が判決にしたがって、刑の執行を継続
することであり、「裁判」全体、すなわちそのプロセスや判決
理由についてまで同意したという意味ではない。佐藤和男・青
山学院大学名誉教授は昭和61年の国際法学会でこの点を当代
一流の国際法学者たちと議論したが、すべての外国人学者がこ
の見解に同意したという。

 そもそも講和条約が和解の当然の帰結として、アムネスティ
(国際法上の大赦)、すなわちすべての戦争犯罪の責任を免除
することは国際法学会の通説であり、この11条自体がこの長
い歴史を持つ慣習に逸脱したものだという強い批判があった。

302 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:31
 講和条約条文はその後、赦免、減刑などは判決を下した国
(東京裁判の場合は、判決に加わった国の過半数)が決定する
と定めている。我が政府はこの11条を誠実に順守して、国民
4千万人にものぼる釈放請願署名と、社会党を含めた圧倒的多
数による国会決議をもとに各国と交渉し、服役中の同胞救出を
実現したのである。

 ちなみに、メキシコ代表は次のように東京裁判そのものに同
意しない旨の発言を行っている。アルゼンチン代表も同様の発
言をしている。

 われわれは、できることなら、本条項[講和条約第11
条]が、連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづける
ことを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必
ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰な
しという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の
刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは
信ずる。

 もう一つは賠償問題である。わが国は講和条約、および、そ
れに基づいた2国間条約で北朝鮮、中華民国以外の国とは賠償
を完全に済ませている。連合国や占領下にあった国々に対して
支払った賠償や準賠償(無償経済協力)、贈与、借款、在外資産
の引き渡しなどの総額は、当時の金で一兆円を超える。

 たとえば、米国政府は、日本軍捕虜となった元米兵に対して、
抑留1日1ドルの補償を行った。この総額はどんなに多く見積
もっても17百万ドル程度であるが、一方で米国政府は約5千
万ドルの在米日本資産を接収している。この上で、講和条約で
は「戦争遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた
連合国及びその国民その他の請求権・・・を放棄する」(第1
4条b)と取り決めたのである。

 一部の元米兵が、第二次大戦中に日本軍の捕虜として強制労
働させられた事で、日本企業を相手取って損害賠償請求訴訟を
相次いで起こしているが、日米政府とも「講和条約で決着ず
み」との姿勢を変えていない。

 ドイツの場合は、ユダヤ人虐殺などに対する個人補償が中心
で、国家賠償もしておらず、講和条約も結ばれていない。この
隙をついて、強制労働被害者がドイツ企業などに補償請求の裁
判を起こし、100億マルク(約5千8百億円)をドイツ政府
と企業が接伴するという和解に至った。しかし日本のように講
和条約による決着がないため、今後さらに追加訴訟されないと
いう保証がなく、企業による支払いは難航している。日本はこ
の点で、ドイツなどよりはるかにきちんとしたけじめをつけて
いるのである。

303 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:31

 インドネシアは、オランダの再侵略と戦い、1948年にようや
く独立を達成した。58年に日本との賠償協定が成立したが、イ
ンドネシア側では「経済力がないので助けてほしい」という声
とともに、一部には「独立できたのは、日本軍が軍隊(PET
A)を作ってくれ、戦後も日本人が残って独立運動に参加して
くれたからだ。むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という
声も出た。

 賠償交渉で来日したアルジ・カルタウィナタ国会議長は、岸
首相に「独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。
日本が悪いことをしたから賠償をくれというわけではありませ
ん。」と言った。さらに戦後の日本の国民生活を見て「こんな
にひどい貧乏な日本からお金を貰うのは辛いなぁ。しかしこの
働きぶりなら日本は必ず一流の国になると思うのでまず私たち
を助けてください」と語った由。

 結局、賠償、戦時中の債権放棄、新たな借款などで総額8億
ドル近くの金額となった。当時の日本の輸出が100億ドル程
度の時で、日本中が顔面蒼白になったと言われたが、わが国は
世界銀行などの援助に頼りながらも、こうした賠償をきちんと
済ませてきたのである。

 こうして戦後処理のけじめをつけたサンフランシシコ講和条
約会議であったが、国際社会に復帰する日本を温かく迎える声
もあった。セイロン(現スリランカ)のJ.R.ジャヤワルダ
ナ蔵相は次のように演説した。

 アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望し
ているのか、それは、アジア諸国民と日本との長きにわた
る結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位
にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊
敬のゆえである。往事、アジア諸民族の中で、日本のみが
協力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ
友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事
を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属
諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インド
ネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されるこ
とを希望して、日本に協力した者がいたのである。

 よってセイロンは日本に賠償を求めない、とジャヤワルダナ
蔵相は述べた。同様の趣旨でインド、ラオス、カンボジアなど
が賠償請求権を放棄した。

 講和会議3日目の7日午後8時から吉田茂首相が、受諾演説
を行った。「日本人も日本全権も、この条約を欣然受諾するも
のであります。」

 翌8日、参加48カ国のあとで、日本全権団が登壇して調印
すると、会場に掲げられていた参加国の国旗群に混じって日の
丸が揚げられた。日本が再び国際社会に迎えられた瞬間である。
見上げる全権団の目が涙にうるんだ。

 翌・昭和27(1952)年4月28日、講和条約が発効して、戦
争状態は正式に終結し、占領から解放されて、わが国は独立を
恢復した。この時に昭和天皇は次の2首を詠まれている。

風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり
国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたえこし民のちからに

                            終

304 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:40
↑感動した。特に、あんな貧しい戦後に、黙々と働いて賠償金を払った昔の人は偉い。

305 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:41
東京裁判における最終弁論で、 
 ウィリアム・ローガン弁護人(担当 被告人 木戸幸一)

 題名「日本は挑発せられ、自衛の戦争に立ちたるものなり」
 最終弁論は、パリ不戦条約の起草者、F・B・ケロッグ国務長官の議会発言を引用して
行われた。

 「F・B・ケロッグ国務長官は、上院においてこう述べられた。
  
  地上の何人にも、ある国家が避けられない問題、自衛と侵略者について定義を下すことは
  困難です。そこで私は、次の結論に達したのであります。国にとり唯一の確実な道は自国
  の主権内で不当なる攻撃と自衛とを自ら判断して世界の世論に答えることです。

  長官のこの言葉を引用したのは、この偉大かつ、博識なアメリカ人が極めて率直に、一国家が
  自国の自衛権の有無を国が遭遇している状勢の上に立ち判断するのが当然の権利と認めた事を
  簡単かつ明瞭に示すためでした。」

 ローガンは同時に、ケロッグが経済封鎖は、戦争行為とみなしていたことを指摘し、最後にこう
付け加えた。
 「彼らは、日本国を愛しました。そして、彼らの決定は、祖国にとって生きるか死ぬかの決定で
  した。彼らは祖国を愛しました。そして、決定をしなければならない地位にありました。我々
  はこの裁判をされる方にちょっと彼らの立場になって、考えてくださいとお願いします。その
  立場にたったら愛国者として他の決議をすることが出来るでしょうか。」

306 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:42

チェスター・W・ニミッツは、日本軍による真珠湾攻撃後に更迭されたキンメルの後任として、
アメリカ太平洋艦隊司令長官に任命された。
開戦直後から終戦に至る全期間、米海軍の太平洋方面の最高指揮官を努め、
延べ5千隻の艦船、1万5千機の飛行機、2百万の将兵を統率して、米国に勝利をもたらした。
そのニミッツ提督が尊敬してやまなかった海軍軍人が、皮肉にも敵国日本の東郷平八郎元帥であった。
日本敗戦後の9月2日、ニミッツはアメリカ合衆国の全権の一人としてミズーリ艦上で、日本降伏受託書に署名した。
彼は調印式の前日、東郷元帥が日本海海戦を指揮した旗艦三笠が、どんな様子になっているか、
気になって自分自身で確かめるため、横須賀に赴いた。
そこに見たのは、荒れ果てた三笠の姿であった。
東郷元帥を尊敬するものの一人としてその時のことを、ニミッツは後に「文芸春秋」に寄稿した文章の中でこう述べている。

管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材として、全部取り除かれたとのことだった。
そのほかに歴史的価値ある部分がどさくさに持ち去られた跡もみられた。
東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの軍艦が、これ以上荒らさるべきでないと思い、
私は米海兵隊に命じて歩哨(営門などの警戒・監視に任ずる兵)を立て、三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去ることを防ぐことにした…

しかし、その後も続いた三笠の荒廃にふれて、この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわしい…
どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、 日本国民と政府が全世界の海軍々人に賞賛されている東郷提督の思い出をながらえるため、適切な方法を講ずることを希望する…
この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥記念保存基金に私の名で寄付させてほしい…(「文藝春秋」昭和33年2月号)


ニミッツの訴えに刺激されて、日本人の間にも三笠保存の動きが急速に盛りあがり、昭和33年11月、三笠保存会設立準備委員会の創立となった。
ニミッツは米海軍を督励して、横須賀にあった廃艦一隻を日本に譲渡し、スクラップにして得た約3千万円を三笠の復元に充てさせた。
かくして36年5月、「記念艦三笠」が蘇った。
昭和60年、横須賀市は市制80年を記念して、三笠周辺の大改造を行い、「水と光と音の三笠公園」が完成した。

昭和62年5月24日、「三笠保存会」は公園の完成にあわせて、「日本海海戦80周年記念行事」を挙行した。
そのメイン行事として、三笠艦内の講堂で記念式典が挙行された。
式典では海上幕僚長はじめ、アルゼンチン大使、トルコ大使、イギリス大使、駐日米海軍司令官の祝辞があった。
いずれも三笠の栄光を讃え、日露戦勝の歴史的意義を強調する内容だった。

JR横須賀駅から車で5分程度の白浜海岸に、今も「記念艦三笠」は停泊している。
艦内は、日本海海戦当時の内装が復元され、東郷元帥の起居した部屋には、小さなベッドまである。
日本海海戦の状況が何枚もの油絵で描かれていて、その中には、
海に漂うロシア水兵達を日本海軍のボートが懸命の救助作業を行っている情景もあり、往時の武士道精神を偲ばせる。
船内の一室には、ニミッツ提督の写真と、自筆の手紙が飾られ、三笠保存の功績が顕彰されている。
(公園内の売店では、フィンランドの企業が東郷元帥を顕彰して売り出した「東郷ビール」が今も販売されている。)

307 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:42

(略)東郷と固い握手をしていたアメリカの少尉候補生
である。
東郷のすぐれた戦略、忍耐、名将ぶりに魅入られたチェ
スター・ニミッツは昭和9年の東郷の国葬にも来日して
出席した。
そして三度目、マッカーサーとともに東京湾の日本の
降伏調印式にやってきた。
ニミッツは東郷から学ぶべきものを多く学んで、日本を
破った。
ニミッツは「三笠」が敗戦後荒廃しているのを歎き、その
保存に気を遣う一方で、戦災で焼けたあとの東郷神社の
再建に「太平洋海戦史」(自著)の日本版印税を寄付した。
東郷はネルソンのように世界的にたたえられるべき存在
だとニミッツは思っていたのである。
筆者は鹿児島に住んでいたとき、米、英の軍艦が鹿児島
に入港すると、必ず東郷の墓前に花束をささげるのを見て
感銘したものである。

「秋山真之」神川武利

308 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:49
■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■

 全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを
見守っている。

 1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すこ
とのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。
米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平
等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。

 日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち
寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロ
ー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあ
らゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆
願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役を
するというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に
嘆願したのである。

 われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問
題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬
意を払うものである。

 全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦
しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の
仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。
[1,p71-76]

 しかし、本誌52号[a]で紹介したように、日本の提案は16
カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領
ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられ
た。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南
部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っ
ていたのだ。

 アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人
もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。

■2.茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている■

 アメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったの
は、日露戦争の時であった。白人の大国に、有色人種の小国が
独立をかけて、果敢な戦いを挑んでいる、と彼らは見た。

 米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人
解放運動の指導者W・E・B・デュボイスは、ヨーロッパに
よる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国
として、日本を支持した。

 日本が勝てば、やがて「アジア人のためのアジア」を声高に
叫ぶ日が来るだろう。それは、彼らの母なる大地アフリカに同
じような声がこだまする前兆となる、と米国黒人の指導者たち
は考えた。黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次の
ような社説を掲載した。

 東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちの
めし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人
にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入
れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、
もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに
今突き崩されようとしている。

 日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、という
ヨーロッパ人による世界侵略の近代史で生まれた神話を事実と
して否定してみせたのである。[1,p53-66]

309 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:50
■3.黒人と日系移民の「連帯意識と共感的理解」■

 1920年代に本格化したアメリカへの日系移民に対して、黒人
たちは温かく接した。「フィラデルフィア・トリビューン」紙
は、次のように述べた。黒人たちは日本人を心から尊敬してい
る。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、「自分た
ちのために一生懸命努力する」日本人の態度は見習うべきもの
である、と。

 カリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に日系
人がよく広告を出した。「ミカド・クリーニング」、「大阪シ
ルク工業」等々。逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリン
チを非難する記事がたびたび登場した。

 ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったこ
とについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように
述べている。

 ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日
系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本
当に喜ばしい限りである。同じ人種の医者に診てもらうこ
とができる安心を患者は得ることができるのだから。

 黒人を差別しない日本人というイメージは、このようなメデ
ィアを通じて、またたく間に西海岸に広まった。「連帯意識と
共感的理解」、この言葉が両者のつながりを示すのによく用い
られた。[1,p82-89]

■4.日本人を救え■

 1923年の関東大震災の報に接したある黒人は「シカゴ・ディ
フェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人
こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書
し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始め
た。

 たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくて
いつ出すというのか。

 同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していった。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇
に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジ
ャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工
業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、
震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打
撃を受けた、と分析した。日本人は「それまでの白人優位の神
話を崩した生き証人」だったからだという。[1,p82-86]

310 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:50
■5.日本のエチオピア支援■

 1936年のイタリアによるエチオピア侵略に対して、アメリカ
の黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」とし
て支援しようとした。アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、
日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は、アメリカ
の黒人たちの心を動かした。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけに
はいかない」「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも
何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言した
ことを伝えている。

 「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、
エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の
提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じた。

 そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハ
イレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇
族・黒田雅子女史の結婚の計画であった。これは実現には至ら
なかったが、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せてい
た証拠であった。シカゴ・ディフェンダー紙は「海を越えた二
人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じた。
[1,p96-103]

■6.日本での「忘れがたい経験」■

 1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中
国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリ
ア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。

 デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、
「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるか
のように、彼の前に割り込んだ。

 ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボ
イスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイ
スに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かま
しいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然と
した態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世
界の幕開けを予感させた。

「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個
人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、
われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種で
あり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」こ
とを、心から理解してくれているのだ。[1,p109-118]

 さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを
悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳く
らいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくよ
うに言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

 上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか
白人の国によって支配され、統治されている。」それに対して、
日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための
国」である。

311 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 19:50
■7.日本人と戦う理由はない■

 日米戦争が始まると、黒人社会の世論は割れた。「人種問題
はひとまず置いておいて母国のために戦おう」という意見から、
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」、さらには「黒人を差
別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意
見まで。

 デュボイスは、人種戦争という観点から捉え、「アメリカが
日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはず
だ」とした。

 黒人たちは、白人が日本人を「イエロー・バスタード(黄色
い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リト
ル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと蔑称をさ
かんに使うことに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけた。

 アメリカは日本兵の残虐行為を理由に、「未開人」という日
本人イメージを広めようとやっきになっていた。それに対して、
「ピッツバーグ・クリア」紙は、ビスマーク沖での海戦で、ア
メリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多
くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした、本土爆撃ではわざわ
ざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差
別に殺した、さらに「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万
という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、
何を残忍と言おう」と主張した。

 軍隊の中でさえ差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって、
白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければなら
ない理由は見いだせなかった。ある黒人部隊の白人指揮官は、
隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下した。黒人
兵の間では、やりきれない気持ちがこんなジョークを生んだ。

 墓石にはこう刻んでくれ。白人を守ろうと、黄色人種と
戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。[1,p120-140]

■8.日系人強制収容を黙って見過ごすのか?■

 大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも、
強制収容所に入れられた。米国の黒人は大きな衝撃を受けた。

 第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリ
ア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいでは
ないか、という点。第二に、アメリカの市民権を持っている日
系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可
能性がある、という点であった。

 11万5千人もの人々(日系人)が、一度にアメリカ人
としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過
ごすというのか。

 ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストが全米黒人向
上協会に呼びかけ、協会の代表はそれを受けて、次のような決
議文を提出した。

 われわれは人種や肌の色によって差別され、アメリカ人
としての当然の権利を侵害されることには断固として反対
していかねばならない。

 戦後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人
を歓迎し、温かく迎えた。彼らは、日系人のために仕事を探し
たり、教会に招いたりしてくれた。[1,p140-152]

■9.歴史上、日本人が持ち得たもっとも、親しい友人■

 [1]の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次
のように我々日本人に呼びかけている。

 歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それが
アメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、
日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返
したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、
心から理解してもらえるはずである。

 かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本
人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を
取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりの
ない、謙虚な日本人−それが私の願いである。[1,p26]

312 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 21:17
もう、あなた、最高です。

313 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:07
勉強になりますた。

314 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:34

記念艦三笠とニミッツ提督

名越二荒之助著、展転社刊、
「世界に生きる日本の心」より
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甦った三笠とその公園

 横須賀には、世界に誇るべき記念艦三笠があります。
申すまでもなくこの記念艦は栄光の戦艦・三笠であります。
日露風雲急を告げる頃、英国の西海岸にあるバーロー港のヴィッカース社で
建造されたものです。
進水は明治三十二年。 (写真:新装なった三笠記念艦と東郷元帥の銅像を
前に−著者中央、高千穂商科大学のゼミ学生とともに)

 三笠は日露開戦と共に、連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の旗艦として、
旅順要塞戦、黄海の海戦で活躍しました。
特に、明治三十八年五月二十七日の日本海海戦では、三十八隻のバルチック
艦隊のほとんどを爆破するという文字通り空前の大勝利を収めました。

 その後三笠は、大正十五年以来、横須賀の白浜海岸に、記念艦として永久
保存されていました。
記念艦三笠は、イギリスの「ビクトリー号」(トラファルガー海戦勝利の記
念艦、ネルソンが艦上で戦死。
現在英国海岸のポーツマス軍港内に保存)、アメリカの「コンスティテュー
ション号」(仏革命、ナポレオン戦争、独立戦争で活躍。現在ボストン造船所
に保存)と共に、世界三大記念艦の随一に数えられていました。
(中にはこのほかに、ロシア革命の時、冬宮を砲撃したソ連のオーロラ号
〈現在レニングラードのネヴァ川に保存〉を挙げる人もある)。

 横須賀市は市制八十年を記念して、三笠周辺の大改造を行い、「水と光と音
の三笠公園」として再生させました。
「三笠保存会」もその完成にあわせて、「日本海海戦八十周年記念行事」を挙行
しました。

 昭和六十二年五月二十四日(日)、記念行事の当日は、海軍関係者をはじめ
熱心な三笠ファンが全国から集まり、横須賀市民も多数参加し、盛沢山な記念
行事が同時並行的に行われました。
日本海海戦をテーマとした懸賞論文募集、大学生対象の弁論大会、書道展、絵画
展、演奏会、儀使隊のドリル実演、東郷元帥銅像ヘの献花式、講演(豊田穣氏)等々。

 その中でもメインは、三笠艦内の講堂で挙行せられた記念式典でした。

 式典では海上幕僚長はじめ、アルゼンチン大使、トルコ大使、イギリス大使、
駐日米海軍司令官の祝辞がありました。
いずれも三笠の栄光を讃え、日露戦勝の歴史的意義を強調する内容でした。

 特に横山和夫横須賀市長が祝辞の中で、「今こそ日本はZ旗を掲げるべき時」
と述べたことと、海軍長老・保科(ほしな)善四郎元参議院議員〈九十六歳〉が、
「三笠は見事に復活した。しかし魂を入れなければ、三笠も形骸に過ぎない」と、
激情をこめて訴えたのが、印象に残りました。

 保科長老〈元中将〉が、「三笠に魂を入れよ」と述べたのは、現在の我が国
の教科書で、日露戦争を記述するに当って、反戦主義者ばかりを登場させ、東郷も
三笠も載せない現状を憂えたものか、それとも戦後三笠が荒廃し、外国人が激怒し
屈辱の時代を指したものか、恐らくその両方であったでありましょう。
我々は過去の歴史を書くに当たって、栄光の記録ばかりを見るのではなく、屈辱の
姿も描かなければ、生きた歴史とはいえません。
栄光の史実には「喜び」を、失敗の事実には「涙」を、屈辱の経験には「憤激」を
もって接することによって、生きた歴史となるのであります。
この栄光の旗艦三笠に忘れてはならない屈辱の時代があったのです。
この屈辱時代を、再び繰り返さぬよう、末代までも語り継がなければならないの
であります。

315 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:35
三笠の屈辱時代

 大東亜戦敗戦と共に、我が国は連合国の占領下に置かれました。米、英、ソ、
中国等で結成された極東委員会で、三笠の保存をめぐって激論がかわされたこと
がありました。
ソ連代表テレビヤンコ中将は、「ロシアを負かした三笠を保存するとは何事か。
スクラップにして直ちに海中に投棄せよ」と主張しました。
それに対して米・参謀部長・ウイロビー少将は、ソ連の記念艦オーロラ号や、
ヴィクトリー号、コンスティテューション号の例を出し、日本国民の記念物を
破壊して反感を買うことは避けるべきだと、主張しました。

 テレビヤンコはいきりたちましたが、横須賀占領の実権は米海軍にあり、三笠
は廃棄を免れました。
その後三笠は米軍監視下に置かれ、心ない米兵によって艦内の目ぼしい記念品
は持ち去られました。
やがて二十三年一月九日、米海軍基地の司令官は、(ソ連ヘの気兼ねもあってか)
艦橋、マスト、砲塔、煙突を四月一日までに除去の上横須賀市による教育事業に
転用することを許可しました。

 横須賀市は民間に払い下げて、文化的に経営することを考え、かねてから申請
していた湘南振興会社(代表・橋本道淳)に、マスト等の撤去作業を請負わせました。
湘南振興では撤去作業が終ると、艦内で米軍相手のキャバレー的な風俗営業を始
めました。
東郷長官室はキャバレー・トーゴーとなり、加藤友三郎や秋山真之参謀等のいた
参謀長室は、カフェになったといいます。

 やがて昭和二十五年、朝鮮動乱が始まると、艦内の鉄、銅、真鍮等、目ぼしい
ものは殆んど売却して暴利をむさぼったと聞きます。
当時はまだ敗戦による虚脱状態から抜けきれず、市も政府も、三笠の荒廃に目を
向けようとはしませんでした。

中村虎猪(とらお)氏と英人ルービン氏


 日本人で最初に三笠復元にたちあがったのは中村虎猪氏(元海軍大佐)でした。
氏は昭和三十年五月、復元を公約して市会議員に当選。湘南振興会社の駆逐を申
し入れ、政府にも働きかけ、地元の日刊「南神新聞」にも記事を連載する等努力
を重ねました。

 三笠保存の声は、外国人の間からも挙がりました。
最初に口火を切ったのは、昭和三十年春、日本を訪れたジョン・S・ルービン氏
でした。
氏はイギリスの貿易商で、三笠がイギリスのバーロー・イン・ファーネス造船所
で建造されていた時、現地で宝石商、時計商を営んでいた人でした。
三笠の乗組員が、この人の店を訪れてから親しくなり、ルービン氏もまた自分の
住む町で三笠が造られたことに愛着と誇りを持つようになりました。

 三笠が完成しバーロー港を出てから五十七年目の昭和三十年の夏、氏は商用が
あって、七十五歳の老体にもかかわらず、元気に来日しました。
その時彼が再会のよろこびに胸をおどらせながら、まづ第一に訪れたのが、横須
賀の三笠でした。
しかしそこで見た三笠は前述の通りの無残な姿に荒れはてていたのでした。

 ルービン氏は憤然として帰り、直ちに一文を、ジャパン・タイムズ紙に寄稿
しました。

「何という日本人は忘恩の国民なのだ。戦い敗れると、ツシマの英雄トーゴーと
ミカサのことも忘れてしまったのか。
神聖なるミカサが丸裸となり、ダンス・ホールやアメリカ兵相手の映画館になっ
たのを黙ってみているのか。何たる日本人は無自覚であることか」

 この原稿は同年の九月二十日の紙上にのり、たちまちアメリカ人、オーストラ
リア人から反響があり、彼らは「ミカサの復活こそ、日本国民の精神復興の試金
石であるべきだ」と説きました。

316 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:35
米・二ミッツ元帥の激励

 やがて昭和三十一年になると、元情ロ報局総裁であった下村海南氏(当時八十
二歳)が、三笠の荒廃ぶりを確かめて、『軍艦三笠」という小冊子を書き上げ、
各方面に配布しました。
これらを受けて軍事評論家の伊藤正徳氏が、「戦艦三笠の栄光と悲惨」を翌三十
二年「文藝春秋」(八月号)に書き、これがその年の読者賞を獲得しました。

 翌三十三年になると、「文藝春秋」〈二月号〉の随筆欄に、「三笠と私」と題
するニミッツ元帥の文章が載りました。
ニミッツは、日露戦争直後東郷提督と会ったことがあり、以来東郷元帥を尊敬し、
東郷戦法によって日本帝国海軍を全滅させたといわれる米・大平洋艦隊司令長官
であります。
そして日本敗戦後の九月二日、アメリカ合衆国の全権の一人としてミズーリ艦上
で、日本降伏受託書に署名した人物でもあります。

 彼は調印式が行われる前日、三笠が、どんな様子になっているか、気になって
自分自身でそれを確かめるため、横須賀に赴きました。
その時のことを元帥はこう述べています。

「---管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材として、全部取り
除かれたとのことだった。そのほかに歴史的価値ある部分がどさくさに持ち去ら
れた跡もみられた。東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの軍
艦が、これ以上荒らさるべきでないと思い、私は米海兵隊に命じて歩哨(営門な
どの警戒・監視に任ずる兵)を立て、三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去
ることを防ぐことにした…」

「この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわしい…」

「どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、日本国民と政府が全
世界の海軍々人に賞賛されている東郷提督の思い出をながらえるため、適切な方
法を講ずることを希望する…」

「この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥記念保存基金に私の
名で寄付させてほしい…」〈「文藝春秋」昭和三十三年二月号)

 これ等に刺激されて、日本人の間にも三笠保存の動きが急速に盛りあがり、
昭和三十三年十一月三笠保存会設立準備委員会の創立となりました。
ニミッツは米海軍を督励して、横須賀にあった廃艦一隻を日本に譲渡し、スク
ラップにして得た全約三千万円を三笠の復元に充てさせました。
かくして三十六年五月、復元は実を結びました。これが今見る「記念艦三笠」
の姿であります。


 以上の事実関係の中から、我々は重大なことを学ばなければなりません。
たしかに戦後三笠復元について努力した日本人はありました。
しかし恥かしながら、外国人から指摘されなかったら、こんなに早く、見事に
復元することはなかったかも知れません。

 ともかく現在三笠とその周辺は、戦前以上に立派なものに再建されました。
しかし小中高校の教科書(「新編日本史」を除く)には、相変らず三笠も東郷も
出てきません。
日本人は公平な目で見ることができなくなり、自らの力で、自分を処理する能
力を欠いていたのでしょうか。
日本人の意識を正常化するためには、外圧に頼るよりほかないのでしょうか。
例えばイギリスあたりに頼んで

「栄光の戦艦三笠は、イギリスで作ったものである。東郷元帥もイギリスで
七年間学んだ。このようにイギリスと関係が深く、世界的に評価されている
ものを教科書で教えないとは何事か。教科書を書き直せ」

 と、サッチャー首相あたりに柳眉を逆だてて貰わなければならないのでしょうか。

 あるいはニミッツ元帥を墓場から呼び出して、もう一度「文藝春秋」に次のよ
うな一文を寄せて貰うのがよいかも知れません。

「日本に対して内政干渉がましいことはいえないが、全世界の人々に賞讃されて
いる東郷元帥や三笠が、日本の教科書で教えられないとは嘆かわしい。
現在の教科書が書かないのなら、新しい教科書会社を設立されたらどうであろうか。
拙著『太平洋海戦史』の印税はささやかだが、会社設立に役立ててほしい…」

 自己の任務を忠実に果たした人々の物語を読むのはいつも沛
然とした感激を伴ってしまいます。

 この有名艦”三笠”−貴国最大の海軍士官である東郷提
督の旗艦−を復旧するために拠金された愛国的な日本人の
皆様へ。その大尊敬者である弟子より心からの祝福をこめ
て。
         米国海軍元帥 C.W.ニミッツ
       (昭和36年5月27日ー日本海海戦56周年)

317 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:39
ここしばらく書き込み無いと思ってたら、一生懸命オナニソース探してたんだな。(w
こんだけ見つけたらさぞ気持ちいいだろ?何回絶頂に達した?

318 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:40
↑今の教科書はおかしいよ。やっぱり。

319 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:41
■1."Father Nogi"■

 1913(大正2)年2月、ニューヨークで "NOGI"と題する本が
出版された。そのわずか5ヶ月前、明治天皇の崩御(ほうぎょ、
亡くなること)とともに、自刃した乃木大将を描いた本である。
自刃と共に、一気に書き上げ、急いで出版したものである。

 著者はスタンレー・ウォシュバン。日露戦争中、シカゴ・ニ
ュースの記者として乃木大将の第3軍に付き添った人物である。
乃木大将の参謀長を務めた一戸(いちのへ)少将は後にこの本
の存在を知って、涙を流さんばかりに喜んで、こう語ったとい
う。

 ウォシュバンという男は当時27,8歳の愉快な青年で
あった。非常に乃木さんを崇拝したばかりでない。Father
Nogi と呼んで、父のごとくに思っていたようだが、果た
してこういうものを書いていてくれたか。

 後に軍神として祀られた乃木大将は、米国青年の眼にどう写
ったのだろうか?

■2.毎朝手元に届けられる死傷者の名簿■

 明治37年8月19日、乃木希典大将率いる第3軍は、旅順
要塞への総攻撃を開始した。バルチック艦隊が到着する前に、
港内に逃げ込んだ敵艦を撃滅しなければならない。しかし最新
の技術をもって築城した要塞は、第3軍決死の総攻撃にもびく
ともせず、戦死者累々の有様であった。この時の乃木大将の様
子をウォシュバンは次のように描く。

 しかし毎朝手元に届けられる死傷者の名簿を見て、将軍
がどれ程心胸の疵(きず)を深めたかは疑うべくもない。
一週は一週、一月は一月と、この恐怖の月日が長引いて行
く間に、将軍の変化は非常なものであつた。心労痛苦の皺
が、縫い目のように顔面に刻まれ、気色悠揚とした時でも、
新しい皺が創痕のように深く目立っていた。

 ・・・新任長官として第九師団を編成した時には、下士
官の姓名までいちいち覚えてしまったという人である。手
ずから撫育して多年統率の任に当っていた、我が児のごと
き第九師団は、今や旅順ロ攻撃軍の中心となって、難戦苦
闘を極めた点においては、出征軍中恐らくその右に出づる
ものはあるまい。

 乃木の長男・勝典(かつすけ)は第2軍に属し、5月27日、
遼東半島上陸直後の戦いで戦死。次男・保典(やすすけ)も1
1月30日、第3軍の歩兵少尉として戦死してしまった。

320 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:42

■3.祝賀の陰の涙■

 旅順要塞が陥落したのは、ようやく翌38年1月1日であっ
た。日本軍の犠牲は死者1万5千、負傷者4万4千人に上った。

 将軍はたちまち全世界の視聴を一身に集める人となった。
文明国民として、将軍に賛美を呈せぬものはなく、新聞と
いう新聞は、ことごとく将軍の肖像を掲げ、でたらめの伝
記までも書き立てた。ドイツ皇帝は祝電を送り、勲章を贈
った。

 しかし、乃木大将はこれにどう応えたか。一副官はウォシュ
バンにこう語った。

 旅順口が陥落して、私たち幕僚が皆祝賀に耽(ふけ)っ
ていると、いつの間にか閣下の姿が見えない。もう退席し
てしまわれたのだ。行って見ると、小舎の中の薄暗いラン
プの前に、両手で額を覆うて、独り腰かけて居られた。閣
下の頬には涙が見えた。そして私を見るとこういわれた。
今は喜んでいる時ではない、お互いにあんな大きな犠牲を
払ったではないか。

 降将ステッセルとの水師営(すいしえい)の会見は有名であ
る。各国特派員が写真撮影を求めたが、敵将に恥をかかせるこ
とは日本の武士道が許さないとして、「会見後、我々が既に友
人となって同列に並んだ所を一枚だけ許そう」といい、ステッ
セル以下と肩を並べて写真に収まった。

■4.「午後は少し忙しい。」■

 5月、第3軍は満州に進出し、司令部は人口5万の町・法庫
門に居を構えた。従軍記者はウォシュバンを含め、3名に減っ
ていた。石と泥土で建てられた、何の飾りもない小さな家を乃
木大将は住居としており、門に歩哨が立っているのと、将軍達
がときおり内庭を行き来しているのを除けば、他の同じような
住宅と区別はつかなかった。

 ある日の午後、ウォシュバンはコリヤズ週刊新聞記者のバリ
ーとともに乃木大将の住居を訪れた。いつものように閑談を伺
ったり、一服の茶をふるまってもらうためであった。将軍は大
長靴を脱ぎ、大きな腕椅子に正座して、茶をすすり煙草を喫し
て、法庫門の生活などを4,50分ほど語り合った。ウォシュ
バンには、この時ほど、将軍がくつろいで見えた時はなかった。

 やがて、将軍はこう言った。「今日はこれで失礼します。
午後は少し忙しい。ミスチェンコの兵が、我が軍の連絡を絶つ
ために、襲撃しようとしていますから。」

 ウォシュバンが後で知ったことだが、この時、わずか1千人
しか防御のいない第3軍司令部にミスチェンコ少将率いるコサ
ック騎兵約1万が接近していた。乃木大将が「少し忙しい」と
言ったのは、大至急、味方の兵力を集めることであった。夕刻
には万全の準備が整った。

 私たち二人が乃木大将の許に悠々と茶を喫していた時は、
あに図らん、ちょうどこの戦闘準備の最中であったのだ。

321 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:42

■5.忘れてならぬことは、敵が大不幸をみたことである。■

 東郷提督率いる連合艦隊がバルチック艦隊を撃滅した翌日、
夕刻7時に司令部において祝杯を上げることとなり、ウォシュ
バンも招待された。乃木大将が「万歳」を叫ぶと、満座これに
応じて、たちまち野砲斉発のような轟きとなって、「万歳」の
声が四壁を揺るがした。

 乃木大将は微笑を浮べて冷ややかに見渡す。その微笑も
やがては消えて、なかば厳粛になかば悲痛の面持となる。
将軍は右手を挙げる。満堂再び沈静する。一同体を傾けて
将軍の一語をも聴き漏らさじとする。将軍の言葉は、翻訳
によると大要左のごとくである。

 我が聯合艦隊のため、我が勇敢な海軍軍人と、東郷提督
のために、祝盃を挙げるのはこの上ないことだ。天皇陛下
の御稜威(みいつ)によって、我が海軍は大勝を得た。し
かし忘れてならぬことは、敵が大不幸をみたことである。
我が戦勝を祝すると同時に、又我々は敵軍の苦境に在るの
を忘れないようにしたい。彼らは強いて不義の戦をさせら
れて死に就いた、りっばな敵であることを認めてやらねば
ならない。それから更に我が軍の戦死者に敬意を表し、敵
軍の戦死者に同情を表して、盃を重ねることとしよう。

 乃木大将の本色実にここに在る。・・・

■6.乃木大将のアキレス腱■

 ウォシュバンらが、乃木大将の戦功を語るにシーザーやナポ
レオンなど歴史上の偉人に比較しようとすると、将軍はいつも
迷惑そうな面持ちで、「アメリカの諸君は大変お上手だから」
と言って、直ちに話題を転じてしまうのが常であった。

 しかし、遂に乃木大将のアキレス腱を見つけた。それは詩歌
であった。バリーは、通訳が英語に訳した将軍の詩歌の詩情と
典雅な表現に動かされて、適当な英語の韻律を与えようと、苦
心を続けた。

 他の手段によってその名誉心に訴えようとしても、将軍
は毫(すこ)しも動ずることがないが、作詩の讃評を聞く
時のみは、小児のように夢中になっていた。バリー君が翻
訳して、しかも佳作となったものを齎(もたら)して、原
詩の情調に適する韻律選択の苦心を語る時、恍惚(こうこ
つ)として両眼を閉じて傾聴する将軍の面影が、髣髴(ほ
うふつ)として今なお眼前に浮んでくる。バリー君は将軍
の著想を表すのに、シェークスピアの韻律が適するか、又
はスウィンバンのが適するか、それを決めるのが困難だと
言って説明した。・・・そして彼が将軍の作品を論評する
時、将軍は始終ポンチ(漫画)人形のように嬉しそうに見
えた。

322 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:42
■7.暁天の星■

 9月、日露講和が成立してウォシュバンらは帰国することと
なった。出発の前夜、送別の小宴が開かれた。乃木大将は体調
が悪く、欠席とのことであった。

 宴が終りに近づいた時、にわかに入ロの戸が開いた。一同起
立して不動の姿勢をとったと思うと、戸ロの方に乃木大将が立
っている。

 覆いがたい憂愁に打ち曇ったその時の顔色は、忘れよう
としても忘れることはできない。・・・将軍は微笑だにも
漏らさず、しずしずと食卓の上座まで来て、私たちと握手
を交換し、切れるような日本語で従卒を呼んでシャンペン
の盃を取った。再ぴ私たちに向って、淋しいながらも温和
な色を浮べて、左のような意味を述べた。

「・・・今諸君の我が軍を去られるに当って、一言を呈せ
ずにはいられない。しかし訣別の辞を呈しようとするので
はない。願わくはお互いの友情を、永久に黎明(れいめい、
夜明け)の空に消ゆる星のごとくにあらしめたい。暁天
(ぎょうてん、夜明けの空)の星は次第に眼には見えなく
なる。しかし消えてなくなることはない。我々は諸君に会
わず、諸君も我々に逢うことがないにしても、各々何処か
に健在して、互いに思いを馳せることであろう」

 言い終って将軍は盃を揚げる。一同もまた黙々として盃
を揚げた。やがて将軍は幕僚をふり返って、少しく意気を
起して「万歳」を叫んだ。人々例によってこれに応じた。
この懐かしい叫びは三度鳴り渡った。将軍は再び握手を交
換して、またしずしずと入口の方へ去った。振り返って一
座を見渡し、微笑を浮べて型のごとき挙手を行い、急に転
じて出て行ってしまった。

 これが我々の親愛なる老将軍乃木の見納めであった。

■8.別れ■

 翌朝、ウォシュバンらは、一戸少将以下、6名の幕僚に見送
られて、法庫門を出発した。行くこと一マイル、郊外に出ると、
一戸少将は馬を停め、こう言った。

「日本人は、友人と袂(たもと)を分かつことを好まない。
私も今告別の詞(ことば)などは申さない。ただ私たちは
此処(ここ)に馬を駐めているから、諸君は途の曲るとこ
ろまで行ったら、振り返ってこちらを見て下さい。私が手
をふったら諸君も手をふって下さい。それをお互いの別れ
としましょう」

 私たちはそのまま馬を進めたが、胸迫って涙を抑えるこ
とができなかつた。永い間生活を共にしてきた軍人たち、
今は友愛の情切なるものもできているのである。法庫門か
らの奉天街道が、渓(たに)の細路に通ずる地点に達する
まで一マイルは十分あって、そこから細路が東へ東ヘと迂
回して行く。その地点に達した時、かねての注意に随って
振り返って見た。遥か彼方に騎馬の群が見えていた。私た
ちは手をふった。肥えた黒馬に跨(またが)った姿に白く
ひらめくものが見える。それは一戸老の手巾(ハンカチ)
を振っているのである。

 これがいよいよ日本帝国の第三軍との別れとなったのだ。

323 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:43
■9.過去数百年伝来した理想の実現のために生きた人■

 明治天皇崩御の後を追って、乃木大将自刃の報がアメリカに
達した時、この事件がアメリカの国民の間で実にわけの解らぬ
事件とされているのを見て、ウォシュバンは憤り、一気呵成に
この本を書き上げた。

 吾人(われら)遠く欧米に在るものよりみれば、這般
(しゃはん、このたび)の行為は聞いてだに戦慄すべきこ
とであろう。しかし乃木大将を知って、いささか将軍の理
想を解し、先帝(明治天皇)に対する崇拝の赤心(まごこ
ろ)を解するものよりみれば、何ら怪しむべきことに非
(あら)ず、ほとんど自然の進退とするほかはない。・
・・

 乃木大将にとっては、天皇は日本帝国の権化(ごんげ、
象徴)であり、最後に生命を天皇に捧げるのは、すなわち、
日本帝国に捧げることであった。将軍既に自己の事業の終
われるを感じ、疾(はや)くにも平安静寂の境に入るべき
ことであったとして、その機会を熱望していたのである。
・・・

 見地かくのごとしとすれば、必ずまず将軍の絶対無二の
立脚地を認めなければならぬ。そは、旅順口の戦勝者とし
てに非ず、奉天戦の英雄としてでもない。ただ本務遂行の
ために生き、過去数百年伝来した理想の実現のために生き
た、単なる人としてである。

 乃木大将はかくのごとき人であった。

324 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:47
きちんと読む奴もういないだろうな

325 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:50
A米上院議員ハミルトン・フイッシュの証言

「日本は、フイリッピンおよびその他のいかなる米国の領土に対して
も、野心を有していなかった。しかしながら、ひとつの国家として、
日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしに存立できなかった。

非常な平和愛好家である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに
来てもよいからルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。
彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思
があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦
を行なうことを決意していたという理由で、日本首相との話し合いを拒否した。」

(ハミルトン・フイッシュ、『日米・開戦の悲劇』)

326 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:51


もう一つ海軍ネタ。
アーレイ・バーク米海軍大将と草鹿任一海軍中将に関するエピソード。
横須賀の連合国軍海軍司令部に赴任したバーク少将(当時)がある時、もと日
本海軍の将官だった草鹿中将が生活苦から道路工事作業者として生計を立てて
いることを風聞で知った。
仇敵とはいえ、世界三大海軍の一つである日本海軍の将官が貧しい生活をして
いることに同情したバーク少将は、自身の権限内で扱える食料品を草鹿中将宅
へ配給することにした。
ところが、数日後、バーク少将のもとに草鹿中将が怒鳴り込んできて曰く、
「いかに生活が苦しかろうと、敵の情けを受けるいわれはない」
バーク少将は驚くとともに、落剥すれどもプライドは捨てない草鹿中将の態度
をみて、日本人に対する観点を変えた。

更に数日後、バーク少将は草鹿中将を含む海軍の元将官を3名夕食会に招待し
た。おそるおそる現れた草鹿中将等をバーク少将は大いにもてなし、はじめは
ぎこちなかった雰囲気も次第にくつろいだものになってきた。そこでバーク少
将は、
「ラバウルを攻略できていれば、私はこうして草鹿中将と夕食をともにするこ
ともなかっただろう」(注:草鹿中将はラバウル方面海軍部隊の総指揮官)
それに草鹿中将が答えて曰く、
「攻撃に来ていたバーク少将の部隊を撃滅していれば、こうやって敵に情けを
かけられることもなかっただろう」
このようなジョークの遣り取りで両者の間はうち解けた。こうしてバーク少将
と草鹿中将の間に親交が生まれた。
そして、この出来事以降、バーク少将は伝統ある日本海軍の復活、つまり海上
自衛隊の創設に際し、アメリカ側の最大の理解者、そして協力者となった。

327 名も無き筑波大生 :2003/05/22(木) 23:52

●ニューヨーク・タイムズ 1904年9月28日号より
『日本人は朝鮮との間に追加条約(第一次日韓協約)をどうやら取り決めた。
条約によって望ましい改革への道が開ける。それは朝鮮の利益にとって望ましいばかりでなく、
疑い無く日本の為にも望ましい改革である。朝鮮は日本人の財政顧問と日本の信任を受けている
外交顧問の採用を誓約している。(中略)日本人は朝鮮が進歩の名に価する進歩を達成するため
には、外にも数え切れない改革が肝要なことをよく知っている。しかしまた、この時代の朝鮮が
自発的にこれらの改革を採用する見込みのない事も、よく知っている』

●ニューヨーク・タイムズ 1905年4月29日号より
『朝鮮でいま目にする変貌の光景は素晴らしい。すでに実施された統治の諸改革は見事であり、
国民には混じりけなしの恩恵となっているが、皇帝にとってや、宦官、占い師、易者、外国人
寄生虫からなる宮廷には狼狽の種になっている』

328 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:03
↑結論。事実。

329 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:04
誰か要約しる

330 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:19
第7章 鵞鳥のソース P.269
Source for the Gander(タイトルの意味については[抜粋]10)を参照)
 [要約]
 満州事変のいきさつと、欧米各国のとった態度。ここに太平洋戦争の発端がある。
 [抜粋]
 1)懲罰と平和の問題は、口で言うほど単純なものではない。まず第一に、満州事変に対する一般の見方が、きわめて複雑な事件を極端に単純化していることだ。第二に、一般に行われている日本非難は道義と人道を基盤にしているが、外国の侵略を押し止めるのは道義ではなく、国際法である。私たちが日本を罰する権利は、庶民感情や理想によっているのではない。超大国アメリカの工業力と軍事力を後楯にした米国務省の決定によっているのだ。
 2)満州事変は、その後の日華事変同様、この複雑な状況の論理的帰結だった。韓国問題のときと同じように、大きな問題は中国での「権益」を守り、拡大しようとする西洋列強同士の対立だった。争っているのは、日本と中国ではなく、日本と欧米列強だったが、ロシア革命で状況が複雑になった。これによって中国の共産主義思想が日本の勢力拡大より大きな脅威になろうとしていたのだ。さらに問題を複雑にしたのは、アメリカの立場である。理想主義的政策を支持していたアメリカが、いまや即物的、国家主義的言葉でしか理想を語れなくなったことにいらだっていた。
 3)アメリカ国内の世論は、この事件(満州事変)にそれほど関心を持っていなかったが、一応は中国を支持した。国際連盟加盟の小国はどちらかといえば中国についたが、大国の政府は態度をはっきりさせなかった。彼らにとって、問題は日本の意図だった。もし事件が日本の主張どおり、「法と秩序」を回復し、日本の「合法的財産」を守るための通常の「警察行為」なら、日本の法的立場は強い。日本は条約上の権利の枠内で行動したことになる。しかし、日本が満州併合を策しているなら事情は違ってくる。
 4)アメリカと連盟がゆっくり動いている間に、満州の事態は急展開した。連盟が設置した調査委員会(リットン調査団)が満州に到着する前の1932年2月29日、満州人代表が瀋陽に集まり、中国からの独立と、独立国家満州国の樹立を宣言した。そして、リットン調査団が報告書を連盟に提出する前の1932年9月15日、日本は新しい国を独立国家として「承認」したのである。
 5)しかし、日本は行きすぎたようである。1932年1月、満州事変は抗日運動が盛り上がる上海に飛び火した。上海の租界に権益を持つ各国の軍隊が警備体制についた。日中両国軍が衝突し、日本軍は中国側の拠点チャペイを攻撃した。各国は共同租界の周辺で起きたこの衝突に強い懸念を抱き、アメリカとイギリスは日本政府に抗議文を送った。何度か交渉が重ねられた結果、戦闘はやんだが、五月まで事態は収拾されず、日本軍は撤退しなかった。
 6)日本にとって、リットン報告の見解は「法的」にきわめて重要である。もし、ある「軍閥政権」が外国勢力に認められたというだけで「中央政府」になれるなら、大国である日本が自分の勢力圏内にある望ましい政権を中央政府として認めてならない理由はないのだ。もし、中国の中央政府が報告で明確にされているように法的擬制なら、日本の満州も同じである、と日本は考えたのである。
 7)日本がリットン報告にびっくりしたのは当然である。報告は日本の誇りを傷つけただけでなく、アジアの大国としての地位を根底から脅かすものであった。心理的衝撃は、日本は西側先進国ではないとされたことである。日本は五大国の高い席から、アジアの後進民族と同じ地位に引きずり下ろされたのである。
 8)そこで日本人は、こうした非難は日本の行動に対してではなく、人種に向けられたものだという結論に行きつく。中国人もリットン報告を子細に読めば、同じ結論に達しただろう。国際連盟がリットン報告を受け入れ、連盟とアメリカが満州国を独立国として承認しなかったことから、日本は連盟を脱退した。
 9)日本が満州で治外法権を放棄したことに対してもそうだ。欧米諸国が日本の行動に拍手を送ってあとに続けば、むしろ日本の侵略を非難しうる堅固で正当な論理的基盤を作れるはずだ。ところが、満州には欧米諸国の特権的地位を奪う権利はないと激しく攻撃したのである。
 10)雌鵞鳥(グース)のソースは雄鵞鳥(ガンダー)のソースにもなる(訳注;西洋人に許されるなら、日本人にだって許される)のだ。

331 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:20
第8章 第5の自由 P.305
The Fifth Freedom
 [要約]
 日本側からみた満州事変の意義とアメリカの説明、日本にとっての満州の必要性、戦後の米国(連合国)の対日政策など。
 [抜粋]
 1)戦争原因を考えるに当たって、私たちは人種的、思想的側面にこだわりすぎ、経済的要因を無視している。日本の視点からいうなら、この戦争はアジア民族がアジアの支配勢力として台頭するのを阻止し、米英企業のために日本の貿易競争力を圧殺しようとする米英の政策が引き起こしたものだった。
 それが米国政府の意図だったという見方は、アメリカ人なら誰も認めないだろうが、実際に行われた政策と米国政府の公式説明は、まさに日本の解釈を裏付けているといわざるを得ない。
 2)日本が私たちの政策を(1)イギリスを全面的に支持する、あるいは(2)自分たちには必要ないが、とにかく日本にだけは渡したくない、あるいは(3)アジアでの戦略的利益を守る、ための政策であると考えたのも当然だった。
 3)政策を判断するには、常に「平和と人類の幸福」という一対の物差しが必要だ。
 4)戦後日本の絶望的状況にぶつかったアメリカの政策立案者は、政策を転換し始めた。日本の再建に数十億ドルの政府借款供与が考えられている。しかし、これは国民生活を考えてのことではなく、日本を対ソ連基地にすることが狙いらしい。同時に、米国企業は対日投資の効果を考え始めているようである。連合国の政策で破産した日本に資本を投入して、アジア市場への足場を築くという考え方が出ているのだ。

332 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:20
第9章 誰のための共栄圏か P.339
Whose Co-Prosperity Sphere?
[要約]
 満州事変における連合国対日政策の失敗原因、日支事変さらに第二次世界大戦突入へのいきさつ、日本の立場と欧米の立場、現代への教訓など。
[抜粋]
 1)私たちの目的である平和と人類の幸福を達成するための国際関係システムに向けて、私たちが指導的役割を果たせるかどうかの問題である。
 満州事変に対する大国の政策の失敗原因は、はっきりしている。人道的目的というものは、パワーポリティクスの技術や特殊権益を考えていては達成できない。
 2)1941年にようやくイギリス、オランダ、アメリカは対日貿易の断絶に踏み切ったが、もし1931年か1932年の時点でそうしていたら、日本は立ち往生していたはずだ。
 3)戦略的に見ると、列強の政策は、(1)日本が拡張に向かわざるをえない心理的、経済的要因を強め、(2)同時に、日本が公然たる反抗を考えるほど強くなるのを助けて、失敗したのだ。
 一方で、日本をイギリスの安全保障体制の一部として利用しようとする考えが、依然としてあった。日本を混乱状態にある満州地域の警察官にする。中国とロシアの緩衝材としてつかう。中国で共産革命が起きた場合に日本の力を借りる。中国の民族主義に対抗して、日本を条約国の統一を守る助けとする、という考え方があった。
 4)民主主義国の倫理面での失敗はもっと深刻である。
 米英二大国が1931年に満州事変に懸念を表明したとき、同時に治外法権を返していたら、不平等条約を放棄していたら、租借地と割譲地を返還していたら、自国の艦船と軍隊を撤退させていたら、満州を侵略であると厳しく断じることができただろう。
 5)日本からみれば、問題はきわめて簡単だった。つまり、(1)満州に「合法的自衛」手段としての戦略拠点を確保し、(2)日本帝国圏(韓国と台湾)と満州、華北からなる経済ブロックを作って経済の安全保障を確立しようというのが日本の計画だった。そうすれば、これまでのように原材料物資と市場をアメリカ、イギリス、フランス、オランダに依存しなくてもすむ。
 6)この時点までイギリスは蒋介石と日本の双方を牽制しつつ支援していたが、華北が独立を宣言し、日本と満州が共同して関税同盟と経済ブロックを結成する可能性が強まってくると、危機感を抱くようになった。イギリスは華北に大きな「権益」を持っていたから、支配的地位から降りようとはしなかった。そこで、イギリスは通貨再編成のために金融専門家、フレデリック・L・ロス卿を送り込み、銀の国有化計画を成功させて、蒋介石を外交的にも財政的にも強化した。同じころ、国民党大会初日の記念写真におさまろうとしていた汪精衛は、カメラに隠されていた銃に撃たれた。

333 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:21
 7)1937年11月、日本は支配地域に共産主義の侵入を許さないための「自衛手段」と称して、独伊反共条約に加盟した。
 8)1941年7月、アメリカ、イギリス、オランダは共同で各統治領内の日本資産を凍結し、貿易関係を全面的に中断した。
 9)日本は、戦うか、三国の条件をのんで小国に身を落とすか、の決断を迫られることになった。日本の内閣は総辞職した。近衛公が去り、東条大将がやってきて、凍結措置は戦争行為であると無造作にいい放つ。次にくるのは必然的にパールハーバーとシンガポールの攻撃である。日本にいわせれば、これは当然の自衛行為であり、「帝国の存立」をかけた攻撃だった。そして戦争を論理的に正当化する法的擬制は大東亜の解放だった。
 10)1934年、日本外務省情報部長(スポークスマン)、天羽英二が新外交政策を発表した。これは日本のモンロー・ドクトリンと呼ばれ、やがては大東を共栄圏に発展して行くものだが、この政策で日本は、日本だけが極東平和の責任を負っていること、中国にいる外国勢力が平和と秩序を乱すような行動をとったり、中国と日本の間に紛争をもたらすような行動をとった場合、必要なら武力をもってこれと対決することを明らかにした。日本外務省は、中国のいかなる政府に対しても、政治的借款の供与、政治顧問の提供は、一切禁止されると述べた。
 米国政府は、日本がこの政策を「モンロー・ドクトリン」と呼び、アメリカの対中南米政策になぞらえようとしていることが許せなかった。しかし、日本から見れば類似性は明白なのである。問題は、私たちが日本と中国の関係だけを考えていたのに対して、日本は中国を支配している欧米列強と日本の関係であると考えていたことにありそうだ。アメリカのモンロー・ドクトリンはヨーロッパの支配が西半球まで及ぶことに反対するものだった。
 11)国際関係を考えるさい、私たちは植民地体制の持つ意味を無視しているが、これは日本の犯罪に対する態度より、はるかに広い意味で重大である。満州事変と日本の共栄圏構想を再検証すれば、なぜ旧国際連盟が平和を守れなかったかが浮かび上がってくる。そして、現在の国際連合の間違いが見えてくるのである。
 12)そこで、日本人は、今日のフィリッピンがかっての満州国と何ら変わらない存在であることに気づくのである。
 13)満州事変とインドネシア事変(インシデント)は驚くほど似通っている。オランダは、日本が中国で行ったことを、インドネシアで行っている。これはかって中国が非難した行動なのだ。
  今日蒋介石の中国が置かれている立場は、日本が最初の教育の時に置かれていた立場と同じである。アメリカ人はこの類似性について真剣に考えてみる必要がある。
 14)日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返している。大戦中日本は、実際に、占領したすべての地域に現地「独立」政府を樹立していった。
 15)すべての国が、法的擬制は敵だけでなく自分たちも持っていることを認める必要がある。東アジアの原住民が信託統治、あるいは非自治地域、あるいは戦略地域の名目で欧米の行政管理下にはいるほうが、植民地や信託統治領の行政のもとにいるより好ましいと考えているとは思えない。この人々にしてみれば、戦争は単にアジア人支配者を追放したにすぎない。そして英語圏がその足場を固め、アジアに近づいたというだけのことなのだ。

334 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:21
第10章 教育者たちの資質 P.381
Notes for Educators
[要約]
連合国の教育者としての適切性、日本の成功がアジアの知識人に与えたインパクト、パワー・ポリティクスに対する警鐘、イギリスの安全保障システムの評価など。
[抜粋]
 1)日本と日本人の罪と罰という問題は単純ではない。確かに、日華事変の記録を普通に読めば、日本の指導部と軍隊の行為すべてが犯罪であるということができる。彼らの重大な犯罪には「情状酌量」の余地がない。彼らは残忍にも非戦闘員を爆撃した。彼らは他人の財産を略奪し破壊した。彼らは何百万の民衆に恐るべき惨禍をもたらした恐怖のの戦争の遂行者である。
しかし、日本が実際に「人類に対する罪」を犯したとしても、私たちが日本国民を懲罰するのは果たして正義だろうか。また、現在行っている懲罰が将来起きるかもしれない同様の犯罪の抑止力たりうるだろうか。答えは否(ノー)である。西洋列強が極東で行ってきたことをふり返り、戦争中の私たちの行動を認識し、私たちの現在の政策と連合国の戦争政策を日々の新聞紙上で追うならば、日本を有罪にしても民主主義諸国の罪は拭えないことがわかるのだ。日本が犯した罪は実際には何であったか、私たちが何で日本を罰しているのか、私たちがどういう根拠で罰せられるより罰する立場にいるのか、将来現れる侵略者にはたぶん理解できないだろう。
 2)日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。それがよくわかっていたアジアの人々は、日本の進歩を非難と羨望の目で見ていた。
 3)政治意識を持つアジア人は日本の輝かしき成功からなにを学ぶべきか、よく理解していた。中国の革命指導者、孫逸仙(孫文)は「三民主義」の中で次のように書いている。
 ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題の代弁者だった。他の諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。白色人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが、知能には違いがない。アジアには強い日本があるから、白色人種は日本人もアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和(日本)民族に権威をもたらしただけでなく、アジア全民族の地位を高めた。かってわれわれはヨーロッパ人がすることはわれわれにはできないと考えていた。いまわれわれは日本がヨーロッパから学んだことを見、日本に習うなら、われわれも日本と同じように西洋から学べることを知ったのである。
 4)日本を見ればわかる。イギリスとアメリカに治外法権をは外してもらい、対等の主権国家として扱ってもらえるまでに45年かかった。中国はイギリスとアメリカに特権と治外法権を返上してもらい、対等の主権国家として認められるまでに104年かかった。

335 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:21
 5)今日、私たちが日本の韓国「奴隷化」政策を非難するのは、要するに日本の植民地経営が著しく拙劣だったからである。しかし、一般に進歩の基準とされている、病院、学校、官庁(とくに現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業化、資源開発などの分野でみると、日本の経営は他の植民主義諸国と比べて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。
 6)国際問題を正しく理解するには、ヤルタ協定をもっと詳細にみる必要がある。ヤルタ協定を考える場合、(1)満州の歴史、(2)私たちがパワー・ポリティックスと「暴力と貪欲」を否定するに際して、イギリスとアメリカの政策立案者が発した高邁な宣言、(3)ヤルタの取り決めにおける中国の立場、(4)国際関係における「合法性」の概念、の諸点からみると、西洋列強が「後れた」地域を「指導」する場合の教育システムの間違いが、実に鮮やかに浮かび上がってくる。
 7)もう一つの「合法性」に関わる問題がある。ヤルタ会談の時点では、ソ連は日本と戦争していなかった。そればかりでなく、日本との間で不可侵条約を結んでいたのだ。イギリスとアメリカは、具体的条件を出して、ソ連が特定の期日をもって不可侵条約を破棄するお膳立てをしていたのだが、両国代表団はそれを違法とは考えてはいないのだ。その結果として、アメリカは8月6日(1945年)原爆を投下し、ソ連は8月8日宣戦を布告、翌9日に参戦した。
 8)アジア人は一連の出来事をパワー・ポリティクスの最もひどい見本と思っているはずだ。アメリカ人に、それがわからないなら自己欺瞞である。
 ヤルタ会談は、パワー・ポリティクスの実習としては画期的なものである。
 9)私たちが掲げる平和と人類の幸福という目的に即してこのシステム(イギリスの安全保障システム[今日ではアメリカの防衛システムだが])をみると、明らかに不利となる事実を二つ指摘することができる。
第一は、日本はイギリスとアメリカの全面的協力がなければ、軍事大国になることができなかったということである。第二はソ連に関する事実である。イギリスのパワー・ポリティクスの絶えざる刺激がなかったら、ソ連はどうだったろうか。はっきりしているのは、平和を維持し、ソ連を抑止する目的でデザインされたイギリスのシステムは、そのいずれの目的も果たせなかったということである。パワー・ポリティクスは日本とソ連ではあらかに逆噴射したのだ。
 10)日本を近代的軍事・工業国家に育てる中で、いくつかのことが見落とされていた。つまり、工業化はダイナミックなシステムに向かうこと、力はさらなる力の必要と渇望を生み出すこと、そして「安全な」同盟国は力を強めることによって安全でなくなること、パワー・ポリティクスが支配する競争世界で、ひとたび覇権の拡大(あるいは「合法的」拡張)に向かうと、物資と市場を競争相手に依存しているという事実が不安感と不信感を醸成させ、より多くのものを求めずにはおかない過剰「安全性」に駆り立てること、西洋列強がコミットメントでアジアに深入りし、日本がコミットメントで満州と華北に深入りしたように、コミットメントというものは国家を追い込むものであること、が見落とされていた。

336 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:22
----要約-----
オナニーネタがいっぱいあってよかった。

337 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:23
まず著作権の話からはじめようか。

338 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:34
このスレは1が私的にメモ帳として用いることになったようです

339 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 00:53
時折入っている、合いの手ヨイショも1かなぁ・・・
合いの手自作自演((゚Д゚))ガクガクプルプル。

340 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 01:30
作者にとっては、
1がコピペでオナニ啓蒙するよりも、
左翼がこの本買って文句たれるほうがうれしいという、
悲しい現実があるわけだが(w

341 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 01:37
1のコピペ元。「アメリカの鏡・日本」
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/book_mirror.html

いたってまともな本なのに、1のせいでここではただのオナニネタ扱いですね。

342 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 02:02
オナニーと取るやつもいる、歴史的資料の一つと取るやつもいる。
ただ>>1に書いてあることはその文章以外、何も意見が入ってないコピペ。
どういう受け取り方をし、どう反応するかでその人の考えや立場がわかる好例スレ

343 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 02:09
まぁ、どうせ>>327あたりが気に食わない奴が、けなしてるんじゃないの??

344 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 11:06
1=342=343
とりあえず下げろ。こんなことは普通に筑波大生は知ってんだよ。
だから、お前みたいなにわかを煽って楽しんでるのを気付かないのか?

345 名も無き筑波大生 :2003/05/23(金) 11:12
アイゼンハウアー大統領
「私は非常に大きい間違いをした、ある大統領の名前を挙げることができる。ルーズベルトは自分の信念や行動しか認めない、極めて自己中心的な人物である」
昭和三十年一月十七日当時の上院外交委員長ウオルター・ジョージ民主党上院議員と交わした会話の録音テープより

「(ルーズベルト)大統領の望まれる日本をして米国への先制攻撃を実行させる為、太平洋をカラにして全艦隊をハワイに引き上げました。
本日より1