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近代、日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
1008 名も無き筑波大生 :2003/05/29(木) 23:47
・朝鮮人労働者の賃金

ところで、彼ら朝鮮人労働者は、まるで奴隷のように、ただ働きをさせられていたか のように思われていますが、はたらいた分の賃金はきちんと払われています。炭坑や 鉱山、土木事業などは、きつい仕事であったため、いやがる人もいましたが、その分、 報酬はかなりよかったので、進んで希望した人もいたほどです。

たとえば、昭和19年(1944)頃の九州の炭坑での賃金は1日4円〜8円(平均 5円)で、これにいろいろな手当がついて月収は150円〜180円、勤務の成績の よいものは200円〜300円です。
はたらいたお金は朝鮮の親元へ送金したり、貯金したりして、だいたい平均すると、 朝鮮人労働者の送金は30円〜50円程度でした。 ちなみに、当時、巡査の初任給が月額45円、事務系の大学卒の初任給が75円、上 等兵以下の兵隊(軍人の約8割)の平均俸給が10円弱ですから、相当な高額だった ことが分かります。

さて、いよいよ昭和19年(1944)9月、朝鮮人にも日本人と同じ「徴用」が行 われることとなりました。このころといえば、もう敗戦の1年前、日本にとってはこ れ以上ない非常時です。日本人は男の子も女の子も12歳から「徴用」されて、さま ざまな場所ではたらいていました。

「徴用」なら拒否することもできないのだから「強制連行」と言ってもいいのではな いか、といえば、全国みんな「強制連行」だらけになります。 日本人は、それこそ働き盛りの青年が戦争に行ってしまっていますから、12歳の子 どもまではたらいていたのです。日本人男性が「徴兵」によって戦場に行くのも、日 本人の子どもが「徴用」されて工場に行くのも、すべて「強制連行」といいますか? 韓国は今現在も「徴兵」制度を維持し、男子はかならず軍隊に入りますが、これを「 強制連行」と呼ぶ人は誰もいません。

戦争末期という非常時には、日本人なら誰もが皆何らかのかたちではたらいていたの です。
「日本人なら皆」この前提は大切です。ここまでこの文章で使ってきた「朝鮮人」と いう言葉も、正しくは「朝鮮人」ではなく、「朝鮮に住んでいる日本国民」であり、 当時の言葉で言えば「外地人」「半島人」「半島出身者」の「日本国民」ということ になります。 ですから、国民の義務としての「徴用」が朝鮮人におよぶのは自然な流れでした。
それでも、昭和14年(1939)から、すでに15歳の男の子、16歳の女の子に 対して「徴用」がはじまっていた日本人よりも、戦争末期の昭和19年(1944) になるまで「徴用」されなかった「外地」の人は、まだ特別な配慮がされていたとい えるでしょう。
それよりも、何よりも日本政府や企業の関与した「官斡旋」「徴用」とは別に、自分 の意思で、それこそ「一旗あげるために」出稼ぎに来た朝鮮人が、いかに多かったか を忘れてはなりません。その数字と例をあげてみましょう。


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過去ログビューア 2006/03/12
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